幽閉から解かれた妻を監視するようになる
ガラシャを幽閉している間も、忠興はひそかに彼女のもとを訪れていたようです。本来ならば離縁するのが当然でしたが、それができなかったということは、それだけ彼女を愛していたということなのでしょう。
やがて忠興は豊臣秀吉に従うようになり、小牧・長久手(こまき・ながくて)の戦いや九州征伐、小田原征伐など秀吉の天下取りのための戦いに参加し、それぞれで戦功を挙げ、順調に出世していきました。
しかし、忠興のガラシャへの愛情は、徐々に歪んだものになっていきます。幽閉を解かれた彼女が大坂の細川屋敷に戻ってくると、忠興は彼女の生活を監視するようになっていったのです。
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幽閉生活が影響したのかどうかはわかりませんが、忠興とガラシャは、以前のような素直な愛情で結ばれた夫婦ではなくなっていました。
ある時、ガラシャの美貌に見とれた庭師を忠興が手討ちにしたことがありました。そして忠興は、庭師の首をガラシャの目の前に突き出したのです。しかしガラシャは顔色一つ変えることなく、平然としていました。
それを見た忠興は、ガラシャに「お前は蛇のような女だ」と言い放ちますが、ガラシャは「鬼の妻には蛇がふさわしゅうございましょう」と言い返したそうです。
また、日ごろから気性が激しく、瞬間湯沸かし器のようなところがあった忠興は、家臣を手討ちにすることがありました。この時も彼はガラシャに対して信じられないような行動に出ます。なんと、刀に付いた血をガラシャの着物で拭ったというのです。
しかしガラシャもガラシャで気の強い女性でした。血で汚れた着物を着替えることもせず、数日間そのままで着続けたといいます。これには忠興もたまらず、着替えてくれと頼んだとか。
こうした状況から、最近では忠興を評して「ヤンデレ」ということがありますよ。「病み」と「デレ」から生じた言葉ですが、まさに忠興のガラシャに対する態度を指していると思いませんか?
豊臣政権での忠興と、ガラシャの改宗がもたらした悲劇
忠興の歪んだ愛情はさらに歪み、ガラシャに対して「側室を5人持つ!」などとわざわざ宣言してみせるなど、愛しているのか憎んでいるのかわからないような状況になっていきました。その一方で、豊臣政権、次の徳川政権にかけては着実な成果を挙げていたのですから、この二面性に驚かされると思います。しかし、ガラシャがキリスト教に改宗した後、関ヶ原の戦いの直前に起きた悲劇からは、やはり忠興が妻を愛していたのだと感じることができるのです。2人にいったい何があったのでしょうか…見ていきましょう。