もの作り日本の本領発揮
高度経済成長時代の日本企業は、海外の進んだ技術を取り入れて、それに改良を加えることでさらに良いものにするというもの作りに優れた日本の技術を確立しました。その改善された技術で世界を制する企業も現れたのです。ソニー、ホンダなどのブランドは世界でも憧れの存在になっていきました。それは、ちょうど今のファーウェイ、サムソンなどの中国や韓国企業と似ています。
ただし、当時の日本は創造力が乏しいとも言われ、ノーベル賞学者も湯川秀樹氏、朝永振一郎氏などに限られていました。
終戦直後のべビーブームによる生産人口の増加
日本は、第二次世界大戦後に、多くの軍隊に徴兵されていた人が復員し、1945年から1950年までベビーブームが訪れていました。その時に生まれた子供たちが高度経済成長時代中期以降に労働年齢に達し、生産力は大きく高まったのです。当時は、現在と違って中学卒業で就職する人も多く、増加する安価な生産人口が経済成長を支えました。
年金制度によって国民の不安の払拭
日本の高度経済成長時代でも、当初は企業の設備投資や輸出は大きく伸びましたが、個人消費はそれほど伸びませんでした。そのためもあって、貯蓄率は20%近くにも達していたのです。その背景には、年金制度ができておらず、老後の不安が大きかったことがありました。
当時は公務員の恩給制度しかなかったのです。そのため、高度経済成長時代中盤の1965年には年金制度が整備されて、人々は安心して働くことができるようになり、貯蓄率は次第に低下し、消費は伸び始めました。それは、経済成長をさらに高めることになったのです。
高度経済成長の恩恵は何だったのか
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日本の高度経済成長の恩恵とは何だったのでしょうか。現在のように、経済回復と言っても大企業だけが利益を出し、庶民の生活水準は一向に上がらない状況とは明らかに違っていました。
一億総中流化による消費需要の拡大
池田内閣の所得倍増計画が実施された結果、日本の個人所得水準は大きく改善されるようになりました。高度経済成長時代終盤の1970年頃には,一億総中流と言われるようになり、貧困率も大きく低下するようになったのです。その間、消費は、三種の神器(白黒テレビ・電気洗濯機・電気冷蔵庫)が普及します。さらに、新三種の神器として3C(クーラー、カラーテレビ、カー)などの言葉に乗せられて、大量生産品の白物家電や車が大きく普及しました。それによって、主婦の家事労働の負担は大きく軽減されるようになったのです。
現在の、貧富の差が拡大して、貧困者が増加するという状況ではありませんでした。
消費は美徳という神話が生まれた
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高度経済成長の中では、企業の産み出す大量生産品に対する個人消費の期待が高まり、「消費は美徳」という言葉が生まれました。人々は、豊かな生活を享受できるようになっていったのです。
それまで日本では、節約が美徳と言われていました。土佐藩の初代藩主になった山内一豊の妻が、内助の功で彼の出世を助けた話が生まれたように、節約が国民の姿勢として重んじられていたのです。しかし、高度経済成長の中では、むしろ節約は悪という見方さえされ出ていました。
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