高度経済成長の終焉はどのようにして起こった?
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このように、日本の発展を経済面で支えてきた高度経済成長時代にもその終焉は訪れました。1974年の日本の経済成長率はマイナスとなったのです。それ以降は、安定成長時代に移行していきました。それまでのような高い賃金上昇も期待できなくなり、消費の伸びは低くなったのです。企業は、それまでのお金を借りて企業の成長を図る姿勢から、借入を減らして、自己資本比率を高めるという財政基盤の安全性に重きを置くようになっていき、高度経済成長時代は終焉ました。
その過程をもう少し詳しく見てみます。
きっかけは田中角栄の列島改造論
高度経済成長時代の物価上昇率は、平均で5%程度と高かったものの、経済成長率や賃金上昇率も高かったためにそれほど問題にはなりませんでした。しかし、1975年を過ぎた頃に首相の座を目指した田中角栄氏は、「列島改造論」を発行して、地方への生産拠点の移動によって、地方の経済力を高めようとします。彼が首相の地位に就くと、地方の不動産価格は買い占めなどもあり、急上昇するようになり、それが物価上昇率も押し上げるようになってしまったのです。
終戦後以来のハイパーインフレの出現
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列島改造論によって、物価上昇率はそれまでの水準を大きく越えてしまいます。列島改造論に対する批判が高まったのです。
しかし、当時の日本は、太平洋ベルト地帯と呼ばれたように、産業の中心が太平洋岸に集中し、地方では高度経済成長の恩恵をあまり受けられませんでした。そのため、人口もそれらの地域に集中するようになったのです。したがって、政策そのものは妥当なものでしたが、それを利用して不動産を買い占める傾向が強くなり、インフレを招きました。
高度経済成長の息の根を止めた第1次オイルショック
その列島改造論によるインフレの中で、中東では第4次中東戦争が勃発し、日本の発展を支えてきた原油が不足するのではという不安が高まりました。そのため、大量に原油を使用するトイレットペーパーなどがスーパーの店頭などで買い占められ、店頭からなくなったことによって、もの不足に対する不安がさらに高まります。いわゆる、オイルショックです。
その結果、物の値段は戦後以来の高い物価上昇率を記録するとともに、賃上げ率もそれに伴って20%以上というとんでもない数値を記録しました。消費は一気に縮小し、経済成長率はマイナスになってしまったのです。それ以降は、経済成長率は高度経済成長時代のように10%を越えることはなくなり、安定成長時代に移行してしまいました。すなわち、高度経済成長時代は終焉を迎えたのです。
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