日本の歴史江戸時代

ヨーロッパのジャポニスム旋風のきっかけとなった「浮世絵」ー元予備校講師がわかりやすく解説

徳川家康が江戸に幕府を開き、豊臣氏を大坂の陣で滅ぼしたことで戦国乱世が完全に幕を閉じます。以後、200年以上にわたる太平の時代となりました。それまで現世をいつ死ぬかわからない苦しい「憂き世」ととらえていた人々は、楽しいこともある「浮き世」と思うようになります。浮世絵は現世である浮世を生き生きと描いた絵でした。今回は、浮世絵の歴史や代表的な浮世絵師について元予備校講師がわかりやすく解説します。

浮世絵とは何か

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江戸時代に入って急速に発達・広がった浮世絵とはどのようなものだったのでしょうか。浮世絵の源流は日本古来の大和絵(日本風絵画)です。最初は黒一色でしたが、江戸中期に多色摺りの技法が開発され色鮮やかな錦絵となりました。浮世絵の歴史や題材、プロデューサーとして活躍した版元などについてまとめます。

浮世絵の歴史

浮世絵のルーツは江戸時代初期にさかのぼります。このころは、まだ木版ではなく、一枚一枚手で書く肉筆画でした。元禄文化のころ、単色刷りの木版の浮世絵が現れます。このころ登場した絵師が菱川師宣です。学校の社会の教科書でも有名な『見返り美人図』は菱川師宣の作品でしたね。

元禄文化のころの作家、井原西鶴の『好色一代男』に浮世絵ということばが登場します。

18世紀後半に活躍した鈴木春信多色刷りの技法を開発。重ね刷りで複数の色を使った浮世絵は今までにない美しさで、京都の錦(絹織物)にも負けないという意味で東錦絵とよばれました。個性的な浮世絵師が活躍するのもこのころからです。

東錦絵の技法が開発されたのち、美人画の喜多川歌麿や役者絵の東洲斎写楽や歌川豊国などが活躍。江戸文化の爛熟期である化成時代には『富嶽三十六景』で有名な葛飾北斎や風景画の歌川広重など有名画家がずらりと並びます。

浮世絵でよく取り上げられた題材

浮世絵は様々なジャンルのものを題材として取り上げてきました。それは、浮世という言葉には現代風、当世、好色などの意味があるからです。

例えば、美人画。小野小町などの歴史上有名な女性だけではなく、店の看板娘や遊女、化粧姿に入浴姿と様々なシーンの女性たちが描かれました。有名な歌舞伎役者も浮世絵の題材としてよく登場します。役者の顔をアップにした「大首絵」は東洲斎写楽の得意とするものでした。

また、芝居の1シーンや芝居そのものの様子を描いた芝居絵も数多く残されています。その中には、義経千本桜や仮名手本忠臣蔵、番町皿屋敷など今でもメジャーな作品を描いた浮世絵もありますね。

忘れてはいけないのが名所絵。『富嶽三十六景』や『東海道五十三次』などはよく知られた名所絵です。これは、現在でいう観光パンフレットの役割も果たしました。気軽に旅行に行けない江戸の庶民にとって心の慰みとなったでしょう。

プロデユーサーである版元を中心とした浮世絵作成

浮世絵で忘れてはならないのがプロデューサーといってもいい版元です。版元は企画や資金を担当します。もっとも有名な版元はなんといっても蔦谷重三郎ではないでしょうか。

喜多川歌麿や東洲斎写楽の浮世絵の版元としても知られます。版元の企画に基づいて、絵師が版下絵という墨の線だけで書いた絵を描きました。下絵は行司や名主といった検閲係のチェックを受けます。

検閲を通過した下絵は彫師に渡され、浮世絵の原版となる版木を彫りました。出来上がった版木を絵師がチェック。間違いがなければ、色を付ける摺師に渡され、絵師が色を指示しました。

出来上がった浮世絵は版元が自ら販売することもあれば、絵草紙屋とよばれた小売店に卸され販売されることもあります。このように、浮世絵は高度な分業体制で作られました。そのため、大量生産が可能となり1枚20文前後、そば一杯と同じ値段で販売されます。

江戸時代を彩った有名絵師たち

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浮世絵は江戸時代の日本で発達した独特の絵画です。絵画といってもかしこまってみるものではなく、庶民が手に取って楽しむための絵でした。そのため、庶民の人気を得た有名絵師はたちまち名声を手に入れます。現代にも伝わる浮世絵を描いた有名絵師たちにスポットを当てて解説しましょう。

浮世絵の確立者にして「浮世絵の祖」と称された菱川師宣

菱川師宣は江戸時代初期から中期に書けて、元禄文化の時代に活躍した画家です。師宣は、それまで絵の挿絵にしか過ぎなかった浮世絵を独立した絵画ジャンルとして確立した絵師でした。

師宣は、本の挿絵であっても文章を少なく挿絵を大きく描くことで庶民の人気を博します。本から独立し、単独の版画として販売しても商品価値があることを見出したのでしょう。

師宣の代表作は歴史の教科書でもよく見る『見返り美人図』。江戸中期、元禄文化の最高傑作の一つとして扱われます。ただし、この絵は浮世絵版画ではなく肉筆画でした。

この当時、浮世絵は墨一色で刷られたものが主流だったからです。現在知られる浮世絵の色や形が確立するのは次の時代の鈴木春信を待たなければなりません。

多色刷りの技法を生み出した鈴木春信

春信以前、浮世絵は絵師が色付けまで行った一点物の肉筆画か単色の墨摺絵が主流でした。黒だけでは物足りなくなったのか、赤い顔料で着色された丹絵や紅絵などが出版されるようになります。しかし、現代知られる浮世絵に比べると地味な印象は否めません。

18世紀後半、江戸社会は経済的にも発展を遂げ、人々はより美しいものを求めるようになりました。その中で、鈴木春信は一枚の絵に多くの色を使った木版画である東錦絵の技法をあみ出します。

多色刷りで刷られた東錦絵は評判を呼び、春信以後の主流となりました。春信の代表作といえば『弾琴美人』。清楚で細身の美人が打掛という着物を着て琴を弾いている様子を描いた浮世絵です。琴を弾く女性だけではなく、茶の道具や筆記用語なども繊細なタッチで描かれていますね。

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