- 古墳が造られていたから古墳時代?そもそも古墳って何?
- 古墳とは?いつ頃から造られるようになったのか?
- 古墳時代とは?年代区分がはっきりしてないって本当?
- 時代の変化?古墳はなぜなくなっていったのか
- 新しい国と社会の幕開け・古墳時代と有名な古墳の数々
- 大型古墳がたくさん造られた:古墳時代初期・前期
- 古墳時代前期の代表的な古墳(1)箸墓古墳
- 古墳時代前期の代表的な古墳(2)茶臼山古墳
- 古墳時代最盛期!大きさや形にも変化が:古墳時代中期
- 古墳時代中期の代表的な古墳(1)大仙陵古墳
- 古墳時代中期の代表的な古墳(2)誉田御廟山古墳
- シンプル&小型化~そして終焉へ:古墳時代後期
- 古墳時代後期の代表的な古墳(1)高松塚古墳
- 古墳時代後期の代表的な古墳(2)吉見百穴
- 緑豊かで散策にもおすすめ!古代の息吹を感じられる古墳へGo!
この記事の目次
古墳が造られていたから古墳時代?そもそも古墳って何?
社会科の授業でも、教科書を開いて最初の頃に学習する「古墳」。仁徳天皇陵、前方後円墳など覚えてテストに備えた記憶をお持ちの方も多いでしょう。でも、そもそも古墳って何なのでしょう。古墳がたくさん造られていた時代だから古墳時代と呼ぶのか、古墳時代だから古墳がたくさん造られていたのか……。古墳とは何か、まずはそこから詳しく解説してまいります。
古墳とは?いつ頃から造られるようになったのか?
古墳(こふん)とは、土を高く盛り上げた丘のような形状をした墳墓です。日本だけでなく、東アジアの国々などでも、地域の権力者の墓として古墳が築かれています。日本では主に3世紀頃から7世紀頃、弥生時代の終わりから飛鳥時代が始まるまでの数世紀の間に数多くの古墳が築造されました。この時代のことを「古墳時代」と呼んでいます。
古墳と一口に言っても、形や大きさ、周囲の地形など形態はさまざま。時代や地域によってもその特徴は大きく変わります。外部の形状は一見、自然に形成された丘のようなものが多く、長年「古墳と気づかず近くに住んでいた」という人も多いようです。
古墳時代とは?年代区分がはっきりしてないって本当?
古墳時代は日本の歴史上、縄文時代、弥生時代の次に来る時代区分のことです。3世紀中頃から7世紀頃までのおよそ400年間に日本全国で盛んに古墳が造られていたため、この時期を考古学的な観点から「古墳時代」と呼ぶようになりました。
同時期の時代区分名として「大和時代(やまとじだい)」という分け方もあり、こちらを記憶している方も少なくないと思います。しかし近年、古墳の研究が進み、この時代のことが少しずつ明らかになるにつれて「古墳時代」のほうが、学校教育の場でも定着しつつあるようです。以前は「大和朝廷」と呼ばれていた政治権力も「ヤマト王権(政権)」という言葉で言い表されるようになっています。古墳時代はヤマト王権が勢力を拡大し力を強めていった時代とも言えるのです。
古墳時代は、どんな古墳が造られていたかによって、さらにいくつかの時代に分けて言及されることがあります。主に前期・中期・後期の3つに分けて論じられることが多いですが、古墳の形状や大きさなどに焦点を当てて区分けすると時期に差異が生じるとも言われており、また、地域による違いも見られるようです。
時代の変化?古墳はなぜなくなっていったのか
3世紀から7世紀という長い期間、全国各地に盛んに造られていた古墳。しかし、7世紀後半になると徐々に古墳は造られなくなっていきます。特に、よく写真で見るような、高く土を盛り上げて築かれた前方後円墳のような大型のものは少数派に。やがて時代は聖徳太子や蘇我氏が活躍する飛鳥時代へ。中国大陸から仏教が伝わって寺院が数多く建てられるようになり、古墳の時代は終わりを告げるのです。
古墳を築く意義は、権力の誇示であったといわれています。地域の権力者や身分の高い人を奉るため、土を盛り堀を築くなどして壮大な古墳を築いたのでしょう。
しかし時は流れ、国家が築かれ身分制度や階級が明確になるにつれて、古墳の大きさで力を誇示する時代ではなくなったのだと見られています。飛鳥時代に入ってからも古墳は造られていましたが、小ぶりなものが多い。古墳が持つ意味合いも変わっていったと考えられているのです。
新しい国と社会の幕開け・古墳時代と有名な古墳の数々
古墳の数は、確認されているだけでも全国に16万基近く存在していると言われています。一見すると丘のように見えるものも多いため、まだ発見されていない古墳が全国各地に眠っているのかもしれません。これだけたくさんの古墳を時代ごとに分類するのは大変なことです。今回は一般的に言われている「前・中・後期」の3区分ごとに、その時代の古墳の特徴と代表的な古墳をいくつかご紹介いたします。
大型古墳がたくさん造られた:古墳時代初期・前期
土を盛り上げて築かれた墳丘墓は、弥生時代後半あたりから徐々に造られ始めていました。稲作技術の向上で人々が1か所に定住するようになり、水田を中心とした集落も次第に巨大なものに。身分の差が生まれ、特定の権力者が誕生し始めた時代と考えられています。
そして3世紀頃から、近畿地方から西日本を中心に、大規模な前方後円墳が築かれるようになっていきました。この前方後円墳の出現が、古墳時代の始まりを表していると考えられています。
大規模な前方後円墳が盛んに造られていたことが、古墳時代前期の大きな特徴ですが、円墳や方墳なども数多く造られていました。内部は竪穴式の石室になっていて、装飾品や鉄器具なども出土。埋葬されている人物の権力をうかがわせる造りとなっています。
古墳時代前期の代表的な古墳(1)箸墓古墳
箸墓古墳(はしはかこふん)は、奈良県桜井市にある日本最古クラスの前方後円墳です。
誰の墓かは明らかになっていませんが、『魏志』倭人伝に記されている倭国の女王「卑弥呼」の墓ではないか、とも言われています。
縦およそ278メートル、後円部の直径およそ150メートル、高さは30メートルにもなるという、上空から見ないと全体がわからないほどの巨大さ。自然にできた小山と見まがうほどのスケールの大きさです。