激動の時代を駆け抜けた幕末ヒーロー:坂本龍馬
幕末に活躍した人物の早すぎる死といったら、この人を避けて通るわけにはいかないでしょう。「一番有名な幕末の人物」といってもよいはず。日本の夜明けを駆け抜けたスーパースター・坂本龍馬(さかもとりょうま)です。
坂本龍馬は天保6年(1835年)、土佐藩(現在の高知県のあたり)の下級武士の次男としてこの世に生を受けます。坂本家は武士としてはそれほど位が高くありませんでしたが、比較的恵まれた暮らしをしていたのだそうです。
龍馬は子供のころから剣術を習い、嘉永6年(1853年)、剣術修行のため江戸の千葉道場へ入門。ペリーが来航し日本中が大騒ぎとなったあの年です。龍馬も土佐藩士として江戸の警備にあたります。200年以上続いた江戸幕府が揺らぎ、人々の思想や価値観にも大きな変化が。剣の腕を磨きながら、龍馬も多くのことを学んでいきました。
江戸で西洋文明に触れた龍馬の心の中には、「船を持ち、同志とともに大海原へ出て商売をする」という大きな夢が芽生えます。やがて龍馬は、武士たちがまだ「藩」という組織に捉われていた時代に、脱藩という大罪を犯してしまうのです。
藩を飛び出した龍馬は、幕臣であり軍艦奉行を務めていた勝海舟主催の操練所で船の技術を学び、西郷隆盛や桂小五郎など、藩を問わず様々な有力者たちと交流を深めていきます。そして長崎に亀山社中(後の海援隊)という名の商社を設立。何物にもとらわれず、船を操って様々な物資の運搬を通して様々な分野で精力的に活動を続けます。
犬猿の仲であった薩摩藩と長州藩の仲を取り薩長同盟に尽力。大政奉還の陰にも龍馬の策があったと伝わっています。藩に捉われない自由人として、維新の中心に立っていた坂本龍馬。しかし終幕は突然訪れました。
龍馬が「倒幕」を意識していたかどうか定かではありませんが、幕府筋からすれば目障りな存在だったに違いありません。それまでも何度か、命を狙われたことがありました。そして慶応3年(1867)の夜、京都の商家・近江屋の2階に身を寄せていた龍馬のもとへ刺客が押し入り、龍馬は惨殺されてしまうのです。龍馬暗殺の真相は、いまだに謎のベールに包まれています。
満31歳。枠にとらわれず自由に生きた龍馬の姿は、現代の人々の心に深い感動を呼び、今もなお、様々な小説やドラマ、映画の題材となって語り継がれているのです。
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