太宰治の名作『走れメロス』。あらすじや解釈のポイントについて解説!
- 『走れメロス』のあらすじ
- メロスは激怒した。
- 三日のうちに、私は村で結婚式を挙げさせ、必ず、ここへ帰って来ます。
- 私がいなくても、もうおまえには優しい亭主があるのだから、決して寂しい事は無い。
- 私は、信頼に報いなければならぬ。いまはただその一事だ。走れ!メロス。
- 信実とは、決して空虚な妄想ではなかった。
- 『走れメロス』をより深く味わうためのポイント
- #1 元ネタは古代ギリシャの伝説
- #2 『ごんぎつね』の作者も同じ元ネタで書いていた
- #3 ディオニス王という存在
- #4 メロスはずっと走っていたわけではない
- #5 「もっと恐ろしく大きいもの」とは?
- 太宰ならではの流れるような文章をほかの作品でも
この記事の目次
『走れメロス』のあらすじ
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作品自体の解説にうつる前に、まずは少し詳しめにあらすじをご紹介します。読んだことがある方は『走れメロス』がどんなお話だったか思い出し、読んだことがない方はどんなお話なのかざっと確認していきましょう。
メロスは激怒した。
メロスはある村に暮らす、ごく普通の羊飼いの青年。父母も妻もいないメロスには16歳の妹がおり、彼女は結婚式をひかえていました。この結婚式の買い出しのためにメロスは村から10里(約39km)離れたシラクスという市を訪れます。シラクスには親友・セリヌンティウスが住んでいるのでメロスは彼に会いに行こうとしますが、道中、町の人々がやけに落ち込んでいることが気にかかりました。市民に聞いてみると、王様(ディオニス王)が人を信じられないために、人を多く処刑しているとのこと。メロスはこれを聞いて激怒したのでした。
三日のうちに、私は村で結婚式を挙げさせ、必ず、ここへ帰って来ます。
怒ったメロスは王の城に入り込みます。しかしすぐに見回りの警吏に捕らえられてしまいました。王の前に連れてこられたメロスは王に責められるも、人を疑うのは最も恥ずかしいことだと反論。メロスはナイフも持っていたため処刑ということになりましたが、妹の結婚式に参加するため、セリヌンティウスを人質にして三日間の猶予を願い出ます。王は、どうせ友人を見捨てて、刻限より少し遅れて帰ってくる(そうすればメロスだけは許されることになっている)に決まっていると決めつけ、三日目の日没までの猶予を許しました。セリヌンティウスは呼び出され納得し、彼を抱擁したメロスはさっそく旅立ちます。眠らずに走ったメロスが十里離れた村に着いたのは、翌日の午前中でした。
私がいなくても、もうおまえには優しい亭主があるのだから、決して寂しい事は無い。
メロスの代わりに羊番をしていた妹は、よろよろと帰ってきた兄の姿を見て驚きます。そこでメロスは、早い方がいいだろうから、明日結婚式を開くと妹に伝えました。疲労困憊の彼は夜まで寝てしまいます。起きてすぐ、メロスは婿に対しても明日結婚式を開くことを依頼。夜が明けるまで説得をして、ついに承諾を得ました。結婚式が行われましたが、やがて大雨が降りだします。祝いの席は夜まで続き、後ろ髪ひかれる思いのメロスは一眠りしたあと旅立つことを決意しました。
私は、信頼に報いなければならぬ。いまはただその一事だ。走れ!メロス。
翌朝目覚めたメロス。十分間に合う時間であると、雨の中を走って出発しました。道中で雨がやみ歩調をゆるめましたが、目の前を流れる川にかかっていた橋が豪雨で壊れているのを目の当たりにします。とても渡れそうにありませんでしたが、メロスはなんとか身一つで泳ぎきることに成功。しかしその安心もつかの間、今度は山賊に襲われました。山賊を打ち負かしたあと走りだしたメロスでしたが、暑さやこれまでの疲れで動けなくなってしまいます。諦めかけたメロスの耳にきこえてきたのは、水の流れる音。この湧き水を飲むと力が湧いてきて、再び走りだすことができました。
信実とは、決して空虚な妄想ではなかった。
間に合うよう必死に走るメロスに声をかけてきたのは、セリヌンティウスの弟子・フィロストラトスでした。彼はもう間に合わないだろうとメロスに言い、セリヌンティウスがどれほどメロスを信じていたか語ります。それを聞いたメロスは最後の力を尽くして走り、ぎりぎりのところで刑場に到着しました。声がしわがれてしまったので群衆をわけてセリヌンティウスの元まで進みます。縄がほどかれたセリヌンティウスに、メロスは一瞬迷ってしまった自分を殴ってくれるよう頼み、セリヌンティウスは疑ってしまった自分を殴ってくれるよう頼み、お互いに殴り合いました。そして抱き合う二人の姿を見たディオニス王は自らの考えを改め、二人を解放したのでした。
『走れメロス』をより深く味わうためのポイント
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『走れメロス』の作者は、知っての通り太宰治(1909〜1948年)。この作品が雑誌『新潮』に発表されたのは、1940年のことでした。その後、河出書房から発行された単行本の短編小説集『女の決闘』のなかにその一編としても収録されています。