室町時代戦国時代日本の歴史

秀吉が得意とした水攻めは住民にとっては過酷な戦術だった

水攻め、兵糧攻め対策のとられた城もあった

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水攻めや兵糧攻めは、それ以降はよく知られるようになり、兵糧攻め対策を講じる城も増えていきました。たいていの城にはいくつも井戸が掘られるようになり、秘密の場外に逃れられる地下道が掘られることもあったのです。小田原攻めが時間がかかったのもそれが原因だったという説もあります。

水攻めで成功した豊臣秀吉

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後に豊臣秀吉となる羽柴秀吉は、城攻めにおいては、兵糧攻めやそれをもっと進めた水攻めが得意だったと言われています。兵士の損失を極力減らし、相手の戦意をそぐ戦術で織田家でも有数の武将に登り詰め、ついには天下を手に入れたのです。戦力に大きな差があれば、水攻めによって無駄な血を流さずにすみますが、城には多くの住民もおり、悲惨な飢餓の地獄に落ちてしまうため、無情な戦略であったとも言えます。

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