室町時代戦国時代日本の歴史

どうやって落とすの?知る人ぞ知る日本が誇る難攻不落の名城4選

かつての日本には、数万ものお城が存在していました。残念ながら今となっては破却されて城跡の表示のみ、または石垣にその面影を残すのみ…そんな風景が残る城が圧倒的多数ではあるのですが、時代を超えて名城と謳われた城は人々の心に残り、観光地や旧跡、名所などになって親しまれています。それらの城の中から、知る人ぞ知る(口コミにも出てこない?)「難攻不落」と言われるおすすめの名城をピックアップしてみたいと思います。

まずはおさらい!城の種類について

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一口に「城」と言っても、まったく同じ人間がひとりとしていないように、同じ城もひとつとしてありません。それぞれの城には個性があります。まずここでは、建っている場所の観点から、城の種類についてみていきます!

1.山城

まずは山の上に築かれた「山城」。戦国時代には多くの山城が作られました。山の上ですから、そう、敵からすれば周辺から山を登って攻略しなければなりません。したがって、攻略難易度は「高」。まさに難攻不落の城タイプがこの山城になります。

ただし、致命的な弱点も。それは、水の補給がしづらかったこと。水はまさに城兵の生命線ですから、守る側としてはここに手をつけられるとアウトです。実際、多くの城がこの攻め方で落城しました。

2.平城

山城とは逆に、平地に作られたのがこの「平城」になります。攻める側からすれば、山城のように登る必要がないことから、攻略難易度は「低」と言っていいでしょう。しかし、なぜわざわざ落とされやすい平地の城を築いたのか?と疑問に思いますよね。それは、平城が流行した時代が影響しています。

平城が建てられたのは世の中が平和になった江戸時代が多く、外敵からの防御といった側面よりも、絢爛豪華な天守閣や建築物による示威、といった面が強くなったのです。

3.平山城

最後に、山城と平城の「いいとこどり」をしたような城の種類をご紹介します。これが「平山城」です。平山城も江戸時代に多くつくられました。平山城のイメージは、小高い丘全体を城で覆いかぶせたようなイメージでしょうか。戦国時代後半になり鉄砲などの新兵器が登場し、既存の山城では防御が十分ではなくなってきたからと言われています。

世界遺産として注目され名高い姫路城も平山城のひとつです。

超メジャーな城からマイナーな城まで…難攻不落の名城4選

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それでは、難攻不落を誇った名城と、その名城にまつわるエピソードをご紹介していきます。時代を問わず、一般的な知名度も問わず、4つの城を厳選しました。

【難攻不落の城・その1】千早城(大阪府)

河内国(現在の大阪府)にあった城。大阪エリアでも南端の山地に位置する城です。

鎌倉時代末期、討幕の兵を挙げた河内の土豪・楠木正成がこの千早城に籠城し、十倍とも百倍とも言われる圧倒的多数の幕府軍を迎え撃ちました。あっという間に陥落すると思いきや、この城は周囲が絶壁とも言える地形。この急峻さを利用した城兵の見事な守りによって、幕府軍は甚大な被害を受け撃退されます。この戦いで楠木正成は大いにその名を上げ、鎌倉幕府は衰退の一途を辿ることになりました。

【難攻不落の城・その2】岩櫃(いわびつ)城(群馬県)

戦国時代、甲斐の武田家は織田信長の攻撃を受け滅亡の危機に瀕していました。そんなとき、家臣であった真田昌幸が主君・武田勝頼に逃れるように勧めたのがこの岩櫃城です。

なぜ勧めたか…それはこの城の堅固さにあります。城の正面は垂直に切り立った崖で攻撃は不可能。城を攻めるには城の裏手に回り込むしかありません。しかし、その裏手に行くためにも細長い隘路(あいろ)を通らなければならず…といった難攻不落ぶりでした。結局、勝頼は昌幸の勧めには応じず、武田家は滅亡へと向かうことになります。

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