北大西洋条約機構NATO に対抗する東側諸国のワルシャワ条約機構
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ソ連を中心とした東側諸国は、NATOの軍事的脅威を感じて、それに対抗する必要が生じ、1955年にワルシャワ条約機構を調印し、発足させました。ソ連は、東ヨーロッパ諸国に対する侵略行為があれば、すぐにソ連を中心とした東側諸国の軍隊が参戦する仕組みを作ったのです。それは、東ヨーロッパ諸国に生じた民主化運動をソ連軍が介入することにつながり、東ヨーロッパ諸国には閉塞感が強まりました。現実に、1968年にチェコスロバキアで起こった「プラハの春」と呼ばれた変革運動には、ソ連主導でワルシャワ条約機構軍がプラハに入り、軍事介入をおこなったのです。
ベルリンの壁(1961年)の設置による対立の激化
東ヨーロッパ諸国の中には、西側の自由主義経済に関心を寄せ、政治・概念とは別の意味で憧れる人たちがいました。彼らは、民主化や自由を要求し、ベルリンでは、西ベルリンに逃げて西ドイツに移住する動きが強まりまったのです。その対策のため、東ドイツは、ベルリンの壁を1961年に設置し、西ベルリンへの脱出する人々を取り締まったことから、東西の対立は強まりました。
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東西冷戦の終焉と東欧の開放も北大西洋条約機構NATOは存続
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ソ連は、経済的疲弊から政策的に核兵器の維持が苦しくなり、国内経済も不振に陥りました。国民の不満も高まります。そのため、1980年代後半に書記長になったゴルバチョフは、ペレストロイカという政治体制の改革運動を掲げ、東西冷戦にも終止符を打とうとしたのです。米国も1980年代は経済が行き詰まり、双子の赤字と言われる財政と貿易収支の赤字に陥り、それまでのように世界の警察官を続けることは難しくなっていました。その結果、1989年にゴルバチョフ書記長と米国のブッシュ大統領はマルタ島で会談し、東西冷戦に終止符を打つことに合意したのです。
ソ連は、それ以降も弱体化が進み、1991年にはソ連が崩壊し、ソビエト連邦は解体されました。連邦を構成していた、ウズベキスタン、カザフスタンなどの各共和国は独立したのです。同時に東ヨーロッパ諸国も解放されて、自由主義国家へと転換しました。東ヨーロッパ諸国は自由主義国家として発展するため、1993年にマーストリヒト条約の発効により発足したEUに参加を求める国が増え、現在ではほとんどの国が加盟しています。
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東西冷戦終結で世界はかえって不安定に_北大西洋条約機構NATOの存続理由
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本来は、東西冷戦が終わったことによって、NATOの役割は終わったはずでした。しかし、東ヨーロッパ、特にバルカン諸国では、民族対立、宗教対立から独立についての内戦(ボスニア紛争など)が勃発し、それにNATOは安全保障上、介入せざるを得なくなります。国際的な紛争、攻撃が続発したのです。そのため、NATOの解散は先送りにされました。
その間に、中東地区では、湾岸戦争、イラク戦争などが発生したのです。欧州のすぐ横での出来事であり、NATOは、会合や会議をその都度開いて、多国籍軍や国連軍に影響力を持たざるを得ませんでした。中東の不安定はテロ戦争を引き起こし、その影響もあって、NATOは存続せざるを得なくなったのです。不安定さは、西洋社会だけでなく、中東、アフリカ、アジアにも及びました。
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意外とバランスがとれていた東西冷戦
東西冷戦では、それぞれの中心となった米ソ両国が軍事力の均衡を目指して、互いに大量の核兵器を保有していました。そのため、キューバ危機以降は、互いに核戦争への恐怖心から動きが取れなくなり、東西冷戦は比較的安定したバランスの取れた時代となっていたのです。
それに対して、東西冷戦の終結後は、個々有力国が個別に行動し、国連の指導力も低下しています。さらに、ナショナリズムも高まったことから、地域紛争も増加し、世界の不安定要素が増加しているのです。
中東情勢の不安定さは、戦後にユダヤ人のイスラエルを米英が国連を通じて強引に成立させ、その拡張主義を容認したことから生じています。パレスチナ難民によるテロ行為は、イスラム諸国全体にイスラム原理主義として拡散し、国際的なテロ戦争につながっていったのです。特に、2001年の米国内で起こった同時多発テロ以降、IS国の設立など、テロ戦争は拡大の一途をたどるようになっています。
ソ連崩壊後に成立したロシアは、ソ連の軍事力を引き継いでおり、ウクライナの混乱に乗じて、クリミア半島を強引に自国領土に組み込みました。このように、東西冷戦後の世界は不安定さを増しており、欧州はNATOに依存せざるを得なくなって、存続が続いているのです。
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