教養歴史

日本の近代化を押し進めた幕末の戦争をわかりやすく解説!

江戸時代の幕末には、国内で戦争が起こり、そこから明治政府が正式に成立して、日本は近代国家に生まれ変わりました。これを明治維新と言っていますが、どのような戦争があったのかは、あまり知られていません。新選組や坂本龍馬などの個別の組織、人物については良く知られていても、戦争については知らない方が多いようです。そこで、幕末においておこなわれた戦争について解説をします。

幕末におこなわれた戦争

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日本が近代国家に生まれ変わるきっかけになったのは、明治維新ですが、明治新政府が成立するまで、幕末には以外と多くの戦争がありました。戦国時代には、戦争は当たり前の時代でしたが、江戸時代には、1638年の島原の乱以降、鎖国したこともあり、平和な時代が続いていたのです。徳川幕府の力が強く、諸国の大名を牛耳っていたこともあり、小さな乱がある以外は平穏でした。

しかし、ペリーが黒船軍艦を率いて来航し、翌年日米和親条約を結んで以降の幕末には、ふたたび多くの戦争が起こるようになります。幕末の戦争は、時代順に並べると、「薩英戦争、長州の外国船砲撃に対する四ヶ国艦隊の砲撃、長州征伐、蛤御門の変、鳥羽・伏見の戦い、戊辰戦争、箱館戦争」がありました。実に7つの戦争が起こっているのです。しかも、その多くは国内戦争でした。

島原の乱の後、平穏な時代が続いていた江戸時代

江戸時代を振り返って見ると、島原の乱以降は、実に220年間戦争のない、平和な時代でした。武士層が支配階級になり、士農工商の身分制度はあったものの、世の中は平和だったのです。大塩平八郎の乱のような事件はありましたが、天下太平の時代と言えました。そのために、町人文化が花開いたのです。

源平合戦の武士の時代になってからは、220年間も平和が続いたことはありませんでした。江戸時代以前の戦国時代はまさに戦争の時代であり、大名間の戦争、大名と一向衆徒などとの一揆などが頻発し、庶民は不安な毎日を過ごしていたのです。

しかし、徳川家康以来の江戸幕府の時代になって、一転して平和な時代が続きました。その要因の一つには、鎖国もあったのです。外国の情報が一部の蘭学者を除けば入らなくなり、平和だが、進歩、発展の少ない世の中になっていました。そのため、庶民の不満は文化面に限られて、武力に訴えるということはなかったのです。

鎖国によって平和な江戸時代が続いたが

平和な徳川幕府の天下が続いていましたが、その間、ヨーロッパでは市民運動、産業革命が起こり、近代国家に向けて大きな発展が起きていました。政治形態においても大きな変化が生じるとともに、産業革命によって、生産技術、産業面で大きな変革が起きて、軍事装備面でも大きな進歩が見られたのです。その情報は、中国の清も日本も鎖国をしていたためにほとんど入ってきませんでした。日本においては、マニュファクチュアなどの一部生産面での変革はありましたが、平和な時代が続いたことにより、武士階層における武器面での進歩はほとんどなかったのです。

 

ペリー来航時の幕府の姿勢によって時代は変わった

平和な時代を突き破ったのは、アヘン戦争で清がイギリスに敗れた情報が伝わったことと、その後のペリーの黒船艦隊が浦賀に姿を現したことでした。これらによって、長く平和な時代が続いていた徳川幕府の老中にとっては寝耳に水だったのです。自分たちでは何も決められず、当時の京都の孝明天皇に意向を聞いたり、主要藩主に意見を聞いたりしました。それまでの江戸時代には、朝廷の意見を聞くことはなく、徳川幕府の老中がすべて独断指示していたのです。そのために、徳川幕府の弱体化は世間の知るところになりました

幕末の戦争はどのようにして起こったのか

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ペリー来航以来の混乱の結果、1860年に井伊大老が桜田門外の変で暗殺された以降、徳川幕府の権威は大きく低下して、日本はふたたび戦争の時代に突入したのです。最初の戦争は弱腰の幕府に対する攘夷論(外国打ち払い)の中で始まりました。

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