- 1.「宇治拾遺物語」はどのような作品?
- 1-1.宇治拾遺物語の序文をご紹介
- 1-2.原作者は大納言源隆国?
- 1-3.宇治拾遺物語の特徴とは?
- 1-4.江戸時代になって陽の目を見た宇治拾遺物語
- 1-5.仏教の教えに準じた説話的なもの
- 1-6.従来の文学にはない庶民性が特徴
- 1-7.宇治拾遺ものがたり (岩波少年文庫)
- 2.鬼に瘤を取られること
- 2-1.鬼の宴会に出くわしてしまうお爺さん
- 2-2.鬼に瘤を取られる
- 3-3.欲を出してしまった隣のお爺さんの顛末
- 4.藤大納言忠家、物いふ女放屁の事
- 4-1.ムードが台無しのアノ音
- 4-2.ただのオナラなのに…
- 5.雀報恩の事
- 5-1.ケガした雀を助けたおばあさん
- 5-2.雀がくれたひょうたんの種
- 5-3.強欲に憑りつかれた隣の老女
- 6.猟師、仏を射る事
- 6-1.僧と猟師
- 6-2.仏を矢で射た猟師
- 6-3.その正体とは…
- 7.児のそら寝
- 7-1.延暦寺の夜のこと
- 7-2.変に気を使ってしまい…
- 7-3.最後は皆で笑い合う
- 現代にも通ずる、ためになる物語が多い!
この記事の目次
1.「宇治拾遺物語」はどのような作品?
今昔物語集と並んで、我が国を代表する説話文学集とされている宇治拾遺物語ですが、その中には197にも及ぶ膨大な数の説話が収められています。なぜ「宇治」と地名が付いているのか?「拾遺」とは何を意味するのか?ちょっとわかりづらいですよね。まずは宇治拾遺物語がどのような作品だったのか?基本的なところを解説していきましょう。
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1-1.宇治拾遺物語の序文をご紹介
まず宇治拾遺物語の序文にこうあります。少し抜粋してみますね。
「世に、宇治大納言物語といふものあり。この大納言は、隆国(たかくに)といふ人なり…
往来の者、上中下をいはず、呼び集め、昔物語をせさせて、われは、内にそひ臥して、語るにしたがひて、大きなる双紙にかかれけり。
天竺の事もあり、大唐の事もあり、日本の事もあり、それがうちに、貴き事もあり、をかしき事もあり、恐ろしき事もあり、あはれなる事もあり、汚き事もあり、少々は空物語もあり、利口なる事もあり、さまざまなり。
世の人、これを興じ見る…
さるほどに、今の世に、また物語書き入れたる出で来たれり。大納言の物語に漏れたるを拾ひ集め、またその後の事など書き集めたるなるべし。名を宇治拾遺物語といふ。宇治に遺れるを拾ふと付けたるにや。」
<現代訳>
昔、宇治大納言という人がいた。この大納言は隆国という名だった。
道行く人や、身分の上下を問わず人を呼び寄せては昔物語をさせ、部屋の中に突っ伏して語られるがままに大きな双紙に書き写していたそうだ。
それらの話はインドや中国、日本のことなど実に多彩。また尊い話や、おもしろい話、恐ろしい話や、かわいそうな話、汚い話、さらには少々ウソっぽい話に至るまで様々な内容だった。
そして世の人々が、これを面白がって読んでいたそうだ。
ところで近頃、また新しく物語を書き入れた本が出来上がったそうだ。大納言の話から漏れたものを拾い集め、またその後のことなどをかき集めたものらしい。
その本の名は宇治拾遺物語といい、宇治に残された話を拾い集めたから拾遺と呼ぶのだろうか。
1-2.原作者は大納言源隆国?
序文によれば、大納言だった源隆国(たかくに)が編纂した「宇治大納言物語」という本があり、そこから漏れた説話を拾い集めて「宇治拾遺物語」が完成したということですね。ですから原作者は源隆国ということになるでしょうか。
源隆国は平安時代中期の公家で、摂関政治全盛期の頃、藤原頼通の側近中の側近として活躍した人です。朝廷の高官でありながら文学にも造詣が深く、今昔物語集の編纂にも関わったとされていますね。
隆国は晩年、京都の南の宇治に隠棲していたため宇治大納言と呼ばれていました。
1-3.宇治拾遺物語の特徴とは?
原作者の源隆国は、滑稽な物語を数多く宇治大納言物語に収録しています。
隆国の第9子である鳥羽大僧正覚猷(かくゆう)もまたユーモラスな画風が特徴的で、「鳥獣人物戯画」の原作者なのでは?とされていますから、かなり自由な家風だったのかも知れません。
宇治大納言物語のスピンオフもしくは別冊といえる宇治拾遺物語もまた、そんな滑稽なストーリー性を持つ説話が多く、現代の私たちが読んでもクスッと笑えるようなエピソードがちりばめられていますね。
また現在知られている昔話の原作となっている場合も多いのです。「舌切り雀」「わらしべ長者」「こぶとりじいさん」などが知られていますね。
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1-4.江戸時代になって陽の目を見た宇治拾遺物語
宇治拾遺物語の成立は中世の鎌倉時代初期とされていて、源隆国が残した物語の数々をいったいが誰が集めたものかは不明です。
また同時代に読まれていたという記録もありませんし、おそらくは個人で楽しむだけに編纂されていたのではないでしょうか。
しかし、ずっと後年になってこの物語集が陽の目を見ることになります。江戸時代になってから落語の祖とされている安楽庵策伝によって、いくつかの説話を含んだ活字本が出版され、多くの人々に読まれるようになりました。
また明治から大正にかけての文豪芥川龍之介も、宇治拾遺物語に収録されたエピソードを再構築して数々の名作を生み出していますね。
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1-5.仏教の教えに準じた説話的なもの
ユーモラスで奔放さに満ちた内容や語り口でありながら、物語の根底に流れているものは仏教における説話的なものです。面白おかしく表現しているいっぽうで、人としてあるべき道筋を指し示していると言えるでしょう。
それには日本へ伝わった仏教が大きく関係しています。仏に深く帰依することも成仏・往生するためには大切なことですが、人として徳(善行)を積むことによっても成仏ができるとされているわけです。
例えば「老人をいたわること」「弱いものを助けること」「いつも正直であること」といったことは、人として生きるにあたって美徳であり、穢れなきものでしょう。
そういった徳こそが社会規範やモラルを形づくることとなります。「か弱いものを助けることにより、あとで良いことがある」といったストーリーは、まさに典型なのではないでしょうか。
1-6.従来の文学にはない庶民性が特徴
原作者といえる源隆国は、大納言という高級貴族の立場にもかかわらず、身分が低かったり貧しい者であっても気さくに会話をしていたようです。枠組みにとらわれない自由奔放でフランクな性格だったようですね。
そんな隆国ですから、会話の中で面白いと感じた話を詳しくまとめ、それを宇治大納言物語として編纂したのでしょう。平安時代に主流だった王朝文学とは一線を画して、あくまで庶民目線でとらえた逸話というのが本当に多いのですね。
物語の主人公は貴族の場合もありますが、その多くは「あるところに住んでいるおじいさん」だったり、「心優しいおばあさん」だったりするわけです。名もなき庶民を主人公とすることで、物語の中に普遍的な価値観を見い出しているといえるでしょう。
1-7.宇治拾遺ものがたり (岩波少年文庫)
宇治拾遺物語を読むにあたって、おすすめの書籍を紹介してみましょう。
たとえば日本の古典文学を購入しようとすると、とかく古文と現代訳が両方書かれている場合があります。この「宇治拾遺ものがたり」は現代訳のみで書かれてあり、初めて手に取る方でも非常にわかりやすく、物語の世界観に入っていけるのではないでしょうか。
また代表的なストーリーを抜粋して掲載してありますから、あまり深く悩まず読み込めるかも知れませんね。
宇治拾遺ものがたり (岩波少年文庫)
Amazonで見る2.鬼に瘤を取られること
Creator:James Curtis Hepburn – ; Anonymous (illustr.) (1888年) Hepburn, J. C. tr., , ed. The Old Man and the Devils, Japanese Fairy Tale Series, No. 17, Kobunsha, パブリック・ドメイン, リンクによる
ここからは宇治拾遺物語に収録されている物語のうち、特におすすめのものを、あらすじとして紹介しておきましょう。原文ではなく現代訳してあります。まず有名な「こぶとりじいさん」など隣の爺型民話の原作となった「鬼に瘤を取られること」という話からです。