教養歴史豆知識・雑学

偉業を成し遂げた天才「ニュートン」近代科学の父の生涯をわかりやすく解説

「ニュートン」と聞けば、誰もがりんごの話を思い出すのでは?ニュートンの目の前で偶然に木からリンゴが落ちたことで、万有引力が発見されました。偶然から奇跡の発見した、天才ニュートンっていったいどんな人物だったのでしょう。今回は、「近代科学の父」と称されるニュートンについてお話ししたいと思います。

1.暗い過去を持つ幼少期

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20代の前半に「万有引力」や「微積分」を発見したニュートン。実は、この大発見は小論文に纏められた後、20年も隠されていました。でも、彼の人生は波乱万丈で、最初の25年までに発見による大偉業を成し、後の30年は惨憺たるもので精神を病み、うつ病を発症したほどだったとか。それでは、ニュートンの幼少期のお話しをしましょう。

1-1数学の天才ニュートンの誕生

ニュートンは、イングランド・スコットランド・アイルランドで起きた内戦「清教徒革命(せいきょうとかくめい)」が勃発した年に誕生しています。また、彼の発見にゆかりのある、ガリレオ・ガリレイが亡くなった年でもあるんですよ。ニュートンは、英国リンカンシャー州の田舎町ウールスソープで生まれました。

彼の誕生日は、1642年12月25日(ユリウス暦)です。新暦のグレゴリオ暦では、1643年1月4日となります。ニュートンの誕生を喜んだ祖母は、「クリスマスの日に生まれたのだから、この子の人生はきっと神様が守ってくださる」と嬉しそうに話しかけたようです。

ちょっと雑学

イギリスではニュートンが亡くなり25年たった1752年9月3日を、9月14日とし、グレゴリオ暦が採用されました。この改暦は、ニュートンなど誕生日によって年をまたぐ人もいるので結構重要です。因みに日本では、1872(明治5)年12月3日に当たる日に、グレゴリオ暦が採用され1873(明治6)年1月1日とされています。

1-2結構複雑な幼少時代

ニュートンの家柄は、土地持ちの自作農家の中でも、高い身分の「ヨーマン」で、裕福な家庭だったようです。父はニュートンが亡くなる3ヶ月前に病死しています。名前は父と同じ「アイザック・ニュートン」と付けられました。母は、父よりワンランク上のジェントリで、貴族階級でした。父と母の年齢差は18歳もあったとか。

ニュートンは、未熟児で生まれ、1リットルサイズのクォートマグカップに入るほど小さかったとの説もあります。でも、ニュートンは歯を1本失っただけで、84歳まで生きました。

未亡人になった母はニュートンが3歳の時に祖母に預け、41歳年上で64歳だった司祭スミスと再婚しました。再婚相手はニュートンを自分の子としては認めず一緒に暮らすことはなかったのです。しかも、母と会うことも許さなかったとか。かなりの変わり者ですよね。

ニュートンはスミス氏を憎んでおりこの経験は、後の人格形成に大きく影響したようです。スミス氏が亡くなったとき、彼の実の子とは違いニュートンには遺産はありませんでした。母が相続した200冊もの本の中から、『自然と人工の不思議』という技術書をもらい、グランサムの学校に進んだときに何度も読んだそうです。この本が、「近代科学の父」と称される、ニュートンのはじまりだったのかもしれません。

ちょっと雑学

母ハナが結婚した理由は、時代背景にもあります。この頃は夫を失ってもすぐに再婚していました。女性は家庭で子育てをするのが当たり前で、一人で子供を育てるのは皆無だったのです。でも、ハナには農場経営という仕事があり、切り詰めれば生活できたと思われます。しかし、経済的に安定するため、結婚した方がいいと思ったのでしょう。

実はニュートンにはマザコン説があり母の頼みには従順で、母が頼めば学校を辞めて家業を手伝い、母の晩年には献身的に介護をしたとか。でも、実際に育ててくれた祖母に対しては至極冷淡だったといわれています。

1-3天才ニュートンの学生時代

ニュートンの時代は寺子屋みたいな教室が町にぽつぽつあり、聖書が読めればいいという教育でした。ニュートンが10歳の時に母が夫の遺産を持って家に戻ってきたお陰で、12歳の時にグランサムにある上の学校に進学できました。

下宿先はハナの友人で薬剤師のウィリアム・クラーク氏の家でした。ニュートンは、薬の調合や独自の薬作りなど率先して手伝いをしています。化学実験など化学に目覚める環境だったため、後に研究する錬金術の基礎作りができました。下宿先の屋根裏に『自然と人工の不思議』を持ち込み、絵が好きだったニュートンは壁いっぱいに本から導き出したアイディアを書いていたようです。

それだけでは飽き足らず、材料を調達し、本に書いてある道具などを実際に作っています。ニュートンが10代で、コピーながらも水時計を作ったという話は有名です。しかも、彼の進んだキングス・スクール(資料に残っている校名)は、非常に教育熱心で数学などカリキュラムも充実していました。

1-4気弱でいじめられっ子だった

ニュートンは大人しく陰気で無口だったとか。教育熱心な学校だったため、何事にも成績が優先される校風でした。田舎から出てきたばかりのニュートンは、劣等生で級友からもバカにされていました。そんな中、成績のいい生徒の一人と喧嘩になり、ボコボコに殴って負かせたことで自信を付けたのです。そこからどんどん、勉強でも認められ始めビリだった成績も、トップになったと伝わっています。

ようやく勉強の面白さを知ったニュートンに、母からそろそろ家の仕事を手伝ってほしいと手紙が届き、退学をして家に戻りました。労働より知的なことが向いていたニュートンは、農作業をさせても全く熱心ではなく、母はニュートンが学校に戻りたがっていると察していたようです。そんな時、キング・スクールの校長が、ニュートンを復学させるよう母に頼んでいます学費などの免除も申し出ており、校長はニュートンの才能に気がついていたようです

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