日本の鉄道の夜明け【鉄道黎明期】
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幕末の開国によって、多くの西欧文化が入ってきた日本。明治維新を迎えると富国強兵政策のもとで数々のインフラ事業が始まりました。多くの人や物を運べる鉄道事業もその一環だったのです。
幕末に初めて鉄道を見た日本人
1854年のこと。ペリーの艦隊が神奈川沖へ現れ二度目の来日をした際、蒸気機関車の大型模型を幕府へ献上しました。日米和親条約の草案を作った一人【河田八之助】が試しに乗ってみたのですが、それは時速30キロほどで走る本格的なものだったのです。河田はこの時の様子をこう記しています。
火発して機活き、筒煙を噴き、輪皆転じ、迅速飛ぶが如く、旋転数匝極めて快し
(火を吹いて機械が動き、筒から煙を吐き、車輪は皆回って飛ぶように走る。きわめて良い乗り心地だ。)
引用元 「恵迪斎全集」より
さらには佐賀藩の【からくり儀右衛門】こと田中久重が自分の手で模型機関車を完成させました。模倣とはいえ実際に走ることができる機関車を作ったのは、これが日本初だったのです。
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ついに日本最初の鉄道が開業!
やがて明治となり、新政府は富国強兵の一環として鉄道事業を推し進めることになりました。当時、日本を除くアジア各国は軒並み欧米の植民地と化しており、それらの轍を踏まぬよう日本は強い国だという姿勢を見せる必要があったのです。
1872年(明治5年)、イギリスの資金・技術援助で鉄路が完成し、ついに横浜~新橋間において日本最初の鉄道が開業しました。そして明治7年に大阪~神戸間、明治10年に大阪~京都間で鉄道が開通し、さらには明治22年に東海道線が開通するに及び、東京~大阪間の交通の大動脈が完成したのでした。
しかし、ここで国の鉄道事業計画は頓挫してしまいます。新政府が政権を担うことで税収が不安定だったこと、西南戦争などの内乱に対する莫大な戦費によって財政難に陥ったためでした。
全国に乱立する私鉄と、その後の国有化
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そこで明治政府がアテにしたのが民間資本だったのです。国は予算を使わなくても鉄道を敷設できるし、民間資本は地場の経済活性化に繋げることができる。win-winの関係がそこにありました。
全国に私鉄が乱立していた日本
鉄道は当時まだ珍しく経営も好調だったため、地方の民間事業者がこぞって私設鉄道の開業に乗り出しました。北は北海道から南は九州に至るまで私鉄が乱立し、特に大きな私鉄は【五大私鉄】とも呼ばれていますね。
明治33年頃のデータで路線距離を比べてみると、国有鉄道1,206キロ。私鉄4,674キロとなっており、4倍ほどの差があったことがわかります。また日清・日露戦争の際にも、これらの私鉄は大活躍しており、軍事輸送路として重要な面を持つことを再認識させたのです。
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【鉄道国有法】によって私鉄が国有化される
しかし、大きな戦争が起こるたびに大量の物資を輸送せねばならない状況となった場合、私鉄がゆえの鉄道規格の違いや運行管理の不統一性など、致命的な問題が明らかとなってきたのです。そこで軍部からの要請もあったため、ついに閣議で私鉄の重要路線を国有化し、鉄道規格と運輸計画を一元化するという「鉄道国有ノ趣旨概要」が決定されました。
明治39年、【鉄道国有法】が公布され、それまで存在していた私鉄は一部を除いて国有化のために国に買収されたのでした。この時買収を免れた私鉄は、南海鉄道(現在の南海電鉄)や東武鉄道など。
ちなみに現在、大手私鉄といわれる近鉄、阪急、西武、小田急などの鉄道会社は、実は鉄道国有法が公布されて以後に発足しているため、この国有化の動きとは関係がないのです。