「ゲルマン民族の大移動」とは?理由は何?わかりやすく解説
西ローマ帝国とゲルマン民族の関係_ガリア戦記に見るゲルマン民族
もともと、ローマ帝国のガリア戦記などにも、ゲルマン民族のことが出てきます。ローマ帝国は、古代の紀元前5世紀頃からガリア地方(西ヨーロッパ)に進出していましたが、当時からローマ軍とゲルマン民族はたびたび戦いを行っていました。紀元前1世紀頃にカエサル(ジュリアス・シーザー)がガリア遠征を行ったことを書いた書物がガリア戦記ですが、カエサルがゲルマン民族と戦ったことが記載されています。しかし、ローマ帝国は、ゲルマン民族の領土の奥深くまで進出はしていません。屈強な民族で、ローマ帝国側が破れたケースも多くあったからです。
もともと西ローマ帝国は衰退していた
しかし、3世紀ごろからローマ帝国は、キリスト教の公認などに見られるように、多民族国家となったことから、支配地における力は弱まっています。それまでの繁栄は、次第に衰えを見せるようになっていたのです。
しかも、4世紀になると、ゲルマン民族の大移動のきっかけになったフン族の侵略がまずローマ帝国のバルカン半島などで起こってきます。フン族は、ヨーロッパ東方にいたスラブ民族を侵略し、さらにローマ帝国にも侵入をしました。ローマ帝国は、フン族の侵略を防ぎきれませんが、抵抗は強かったと言えます。そのために、フン族は守りの薄い北ヨーロッパに進出していくようになり、ゲルマン民族の土地に侵入し、ゲルマン民族は移動を始めたのです。
ローマ帝国の分裂と西ローマ帝国の滅亡
ゲルマン民族は、ローマ帝国のガリア(ケルト)地方に進出するようになり、ローマ帝国の領土に侵略しました。そのため、ローマ帝国は、東にフン族の侵略、西にゲルマン民族の侵略を受け、ついに395年にローマ帝国は東西に分裂してしまいます。そして、以降の5世紀もゲルマン民族の侵入は強まり、476年にゲルマン人傭兵によって皇帝が退位させられ、西ローマ帝国は滅亡したのです。
ゲルマン民族の大移動を引き起こしたフン族とその原因
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ローマ帝国の東西分裂や、ゲルマン民族の大移動による西ローマ帝国の滅亡に繋がった背景には、フン族の侵略がありました。このフン族というのはいったい何者だったのでしょう。また、フン族はなぜ西に移動して、ヨーロッパを侵略したのでしょう。この点を見ていきます。
フン族の移動によってヨーロッパではゲルマン民族の大移動という玉突き移動が起こった
中央アジアにいたフン族は、4世紀後半に入ると西に移動を開始します。そのため、このフン族の侵略によってゲルマン民族は次々と移動の玉突きを起こしました。本来、ゲルマン民族は屈強な民族であり、フン族と戦って撃退することができなかったのでしょうか。また、侵略を受けた地域には今もゲルマン民族などが住んでおり、フン族はどこにいってしまったのかも疑問です。
フン族とはどのような民族だったのか
フン族は、中央アジアにいた遊牧民と言われ、強い騎馬民族だったと言われています。そのため、農耕民族や牧畜をしていたゲルマン民族が屈強といっても、騎馬を自在に操るフン族の進出には耐えられなかったのです。中国なども、古い時代から北方の強度という遊牧騎馬民族の侵略を受け、秦の始皇帝は万里の長城を整備、構築したと言われています。この北方遊牧騎馬民族が匈奴と言われた人たちでした。フン族は匈奴ではなかったかという説が有力ですが、まだ定説はありません。
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