ヨーロッパの歴史

「ゲルマン民族の大移動」とは?理由は何?わかりやすく解説

フン族も一つではなかった

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フン族もゲルマン民族と同様、一つの民族ではなかったようです。中央アジアや中国北方には、昔から遊牧騎馬民族が多く住んでおり、いろいろな民族がおり、それぞれが勢力を保持していました。後の時代のモンゴル帝国を作ったモンゴル民族もその一つです。古くはインド大陸に進出したアーリア人もその一つと言えるかもしれません。また、中央アジアにいた有力民族には、今のトルコ人もおり、チュルクと言われていました。

彼らは、遊牧騎馬民族であり、もともと移動を繰り返す習慣があり、ある土地に定住することはなかったのです。そのため、中央アジアやシベリアの気候が寒冷化すると、温かい南方や西方に移動するのが常でした。中国の匈奴なども同様です。

フン族はなぜ西に向かったのか

フン族が西に向かったのはなぜだったのかについては、中央アジアやシベリアの寒冷化説が有力ですが、確定的とは言えません。気候の寒冷化とは別に、フン族内の抗争や他民族との争いに負けて移動したと言うことも考えられるからです。

ただ、3世紀後半から世界的に気候は寒冷化に向かっていたのは、南極の数万年の氷床の堆積物などの分析から明らかになっています。3世紀後半の中国においても、さまざまな北方民族が南下して、中国で国を作り、五胡十六国時代という混乱の時代に突入していました。東西で同じような民族の移動が生じているのは、やはりシベリア、中央アジアの寒冷化がもたらしたと考えられるのです。

3世紀以降のシベリア、中央アジアの気候変動

地球は、氷河時代以降も常に気候変動を繰り返しており、それによって歴史も影響を受けてきました。14世紀にも気候の寒冷化があり、その時にはモンゴル族が南下したり、西方に進出したりして、巨大な帝国を築いています。現代の温暖化は、人類自身がもたらしていますが、近代文明が発展する前から、温暖な時代と寒冷化や乾燥化した時代が繰り返しているのです。恐らく、ゲルマン民族の大移動の原因になったフン族の移動にも気候が大きく影響していたのは間違いないでしょう。

ゲルマン民族の大移動によってもたらされたもの

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では、ゲルマン民族が大移動をしたことによって、何が変わったのでしょうか。ローマ帝国が分裂し、西ローマ帝国が滅亡したことが大きく取り上げられていますが、それだけではありませんでした。

西ヨーロッパに多くの国が生まれた

ローマ帝国時代の西ヨーロッパは、ガリア地方、或いはケルト地方と呼ばれて、比較的平和な社会が存在していました。しかし、ゲルマン民族が大移動をした結果、西ヨーロッパにも多くの国や領主が生まれ、同時にそこにキリスト教が普及したのです。古代のローマ帝国による専制国家の時代から、中世の封建社会へと姿を変えていったと言えます。現代の西ヨーロッパの国の原型もこの時期に出来上がったのです。

アングロ・サクソンも元はゲルマン民族だった

18世紀以降世界を支配していた大英帝国やアメリカ合衆国は、アングロ・サクソンの国家と言われています。このアングロ・サクソン語族ももともとはゲルマン民族でした。イギリスには、アーサー王やロビン・フットなどの英雄物語が、よく映画にもなっていますが、まさしく彼らこそ、ゲルマン民族の大移動の結果だったと言えるのです。

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