イギリスヨーロッパの歴史

「ブレグジット」とは?離脱の背景やイギリス政府・議会の動きなど元予備校講師がわかりやすく解説

2016年、イギリスでEU離脱を問う国民投票が実施されました。投票結果は大方の予想を覆す、EU離脱の決定です。それから、イギリスの混迷が始まりました。イギリスのEU離脱をめぐる動きや、国民投票後のイギリス政治などについて、元予備校講師がわかりやすく解説します。

ブレグジットの背景と国民投票の実施

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ブレグジット(Brexit)とは、イギリスを意味するBritishと離脱を意味するexitを組み合わせた造語です。そもそも、イギリスはなぜEUに加盟し、なぜEUから離脱しようという意見が多数を占めるに至ったのでしょうか。イギリスのEU加盟とEUに対する不満、キャメロン政権が実施した国民投票などについてまとめます。

イギリス経済の低迷

第二次世界大戦後、世界各地にあったイギリスの植民地は次々と独立していきました。覇権国の座はアメリカのものとなり、イギリスの政治的・経済的地位は低下します。

1960~70年代にかけて、イギリス経済は長期間低迷しました。この時期のイギリスの状態を「イギリス病」とよびます。イギリスでは、どうしてイギリス病になったのか、イギリス病から脱却するのはどうすればよいのかがしきりに議論されました。

貴族制度などのイギリス独特の階級制度や保守的な教育、老朽化した設備などが問題点として取り上げられます。

のちに、イギリスの首相となるマーガレット=サッチャーは、イギリス病の原因は戦後に成立した労働党政権が実施した「大きな政府」の実現のための巨額の社会福祉費にあると主張。1980年代に新自由主義的経済政策を実施してイギリス病からの脱却をはかりました。

イギリスのEC加盟

1950年代、西ヨーロッパではベルギー・オランダ・ルクセンブルクのベネルクス三国の経済同盟がきっかけとなり、経済だけではなく、外交や防衛、治安の分野でも統合を目指す動きが活発化しました。

1967年、フランス、西ドイツ、イタリア、ベルギー、オランダ、ルクセンブルクの六カ国は経済的統合を目指す組織としてヨーロッパ共同体(EC)を結成します。EC加盟国は域内の関税を撤廃し、人やお金の移動をスムーズに行う体制を整備し、経済発展を目指しました。

EC結成当初、イギリスは不参加を表明。ECに対抗するヨーロッパ自由貿易連合(EFTA)を結成します。しかし、ECがEFTAより経済発展が著しく、イギリスは不利になりました。

そこで、イギリスはEC加盟国の同意を取り付けたうえで1973年にEC加盟を果たします。1975年、イギリスでEC残留の国民投票が実施されましたが、この時は残留が承認されました。

統合を強めるEUとEUROに参加しないイギリス

1980年代、ヨーロッパではECに加盟する国が増加します。この間、ECではパスポートの統一や通貨統合など、統合に向けての動きが加速しました。

しかし、イギリスのサッチャー内閣はECの統合強化に消極的で、共通通貨であるEUROへの参加に消極的。そのため、EUROへの不参加を表明し、イギリスは従来の通貨であるポンドを使用し続けることにしました。

1992年、マーストリヒト条約が調印され、翌年にECはヨーロッパ連合(EU)と改称。外交・防衛政策の共通化やEUROの導入、欧州議会の権限強化、経済統合から政治統合への発展などが定められます。

1995年にはEU域内の国民がパスポートやビザなしで各国を往来できるシェンゲン協定が締結。1999年にイギリス、スウェーデン、デンマークなどを除く大半の加盟国でEUROが導入されました。こうして、EU統合は加速度的に進みます。

移民の増加とイギリスのEUに対する不満

冷戦が崩壊すると、東ヨーロッパの旧社会主義国があらたにEUに加盟しました。西ヨーロッパに比べ、経済的に遅れていた東ヨーロッパの人々は、高い賃金を求め西ヨーロッパに移動します。

西ヨーロッパの中でも、比較的経済状況が良くなっていたイギリスにも多くの移民が流入してきました。特に2013年を境にEU域内からの移民は毎年10万人を大きく超え、国民投票の前年である2015年には20万人に迫る勢いを見せます。

イギリス国内では移民を制限すべきだという世論が高まりますが、シェンゲン協定に署名している以上、EU域内からの移民を制限することはできません。イギリス国民の間に、自国のことは自国で決定したいという思いが強まり、EUに対する不満が募りました。

キャメロン政権による国民投票実施とキャメロン内閣総辞職

2010年に首相に就任した保守党のキャメロン首相は財政赤字解消のため、国家予算を縮小し支出を減らそうとします。2015年に行われた庶民院(イギリス下院)の選挙では、労働党と支持率が拮抗。そのため、キャメロン首相は保守党が選挙に勝利した場合、EU離脱の是非を問う国民投票を実施すると約束しました。

選挙結果は保守党の勝利。キャメロン首相は公約通りに国民投票を実施します。2016年6月、キャメロン政権はイギリスのEU離脱を問う国民投票を実施。投票者の51.9%がEU離脱を支持したため、イギリスのEU離脱が決定しました。

国民投票の結果を受け、キャメロン政権は総辞職。キャメロン政権の内務大臣を務めていたテリーザ=メイが新政権の首相に就任しました。

国民投票の地域別結果

2016年の国民投票を地域別に分析するとはっきりとした違いが現れます。EU残留を支持していたのはイギリスの北部にあるスコットランドと北アイルランド、首都のロンドンなどです。イギリスの南部のイングランドでは離脱に賛成する地域が多いことがわかりました。

イギリスにとってスコットランドと北アイルランドはとてもデリケートな問題を持った地域です。

スコットランドではイギリスからの独立を主張する住民投票が実施され、55%の反対で否決されていますね。北アイルランドは、カトリックとプロテスタントという宗教問題とアイルランドとの統合問題などが複雑に絡み合う地域です。

それに比べ、保守派が多いイングランドでは、イギリスがEUから距離を取り自主性を回復するべきだとする考え方が根強くありました。地域事情が投票結果にしっかりと反映されているのは興味深いですね。

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