安土桃山時代室町時代戦国時代日本の歴史

豊臣秀吉はなぜ千利休を切腹させた?2人の関係をわかりやすく解説

豊臣秀吉と千利休は、戦国末期に天下人とそのお茶の師匠という関係だけではなく、秀吉の相談役としても重要な役割がありました。その二人が対立し、ついには、利休が自分の屋敷で切腹させられています。この豊臣秀吉と千利休の関係についてご説明しましょう。

豊臣秀吉と千利休の関係

image by iStockphoto

豊臣秀吉と千利休の関わりについては、NHKの大河ドラマやその他の大型時代劇でも描かれており、映画もたくさんできています。二人の対立から、利休は切腹に至っているのですが、描かれ方にかなり差があるのです。実際のところ、本当の対立の原因はよく知れていないためと言えます。個別の対立はありますが、本当の理由ははっきりわかっていないために、いろいろな描かれ方をしているわけで、二人の関わりから見ていくことにしましょう。

千利休は元々織田信長に仕えていた

千利休は、元々堺の商人で、法名を千宗易といいました。当時は茶の湯と呼ばれた茶道に対する深い知見があり、京都に上った織田信長が茶人として仕えさせたと言われています。最初は、お茶の師匠的な立場でしたが、堺の商人だっただけに、日本各地の情報や海外の情報などにも精通していたことから、いつの間にか相談役的な立場になっていったのです。傲慢な面もある信長が弟子になるということには、抵抗もあったのでしょう。

もちろん、利休自身の能力もありましたが、天下布武を狙って、大きな野望を持つ信長にとっては、堺からの貴重な情報をもたらせてくれる貴重な存在だったのです。しかも、当時の堺は、どの大名にも仕えず、独立した存在で、信長の指示にも従わない困った存在だっただけに、利休の存在は重要でした。

千利休の目利きで蛸壺が超高価に

当時は、禅宗の影響もあり、茶道が武将のたしなみとして重視されており、茶器などは高価な値段で取り引きされていたのです。信長の師匠兼相談役になった千利休の茶器に対する目利きは当代一と言われ、彼が一級品と言えば、その茶器はとんでもない高値で取り引きされました。昔、NHKの大河ドラマ「黄金の日日」で、堺商人だった納屋助左衛門が、フィリピンの浜に転がっていた蛸壺を高級茶器と称してとんでもない高値で売ったシーンがありました。今では考えられないことですが、茶器一つで城が買えたと言われたのです。

そしてその中心には千利休がいました。

松永弾正は茶器一つで信長に命乞い

戦国時代末期に、下克上で成り上がった典型的な大名として松永弾正久秀という人物がいました。元々、足利将軍に近い大名の三好氏に仕えていましたが、彼を追い落として自分が足利将軍家の後継争いにも影響を与える存在にもなっていたのです。謀略が好きで、信長が京都に入りますと、三好氏を見限って、すぐに取り入ってしまうほどでした。将軍足利義輝の襲撃にも関わっていたと疑われています。この松永弾正は、茶人としても有名でした。

信長に対しても、将軍足利義昭の側について、幾度となく追い落としを図ろうとした結果、信長の怒りに触れ、最後には大和の信貴山城で持っていた茶器と共に爆死してしまいます。その際、松永弾正は、天下の名茶器と言われた「平蜘蛛茶釜」を献上して命乞いをしますが、許されず、結局、茶器と共に爆死しているのです。

このように、信長や秀吉の、天正年間を中心とする安土桃山時代には、茶道具は非常に高価なものでした

信長に仕えていた時代の利休と木下藤吉郎の関係

信長が上京して、足利義昭を将軍に据えた当時、後の豊臣秀吉となる木下藤吉郎は京都奉行となります。おそらく、秀吉と利休の出会いはこの時だったのでしょう。まだ、秀吉は、織田家の中でも序列から言えばかなり下の家臣でしたから、信長の師匠であり、相談役でもあった利休のほうがかなり地位的には高かったと言えます。従って、いろいろと教えを請うていたようです。

明智光秀の謀反で羽柴秀吉と千利休の関係が逆転

image by PIXTA / 40712311

この豊臣秀吉と千利休の関係が大きく逆転したのは、やはり明智光秀の本能寺の変が起こったことによります

本能寺の変において信長が亡くなる

本能寺の変が起こった時には羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)は、中国地方(今の岡山県)で毛利方の 備中高松城を水攻めにしている最中でした。光秀の毛利家に対する密使を偶然に捕らえた秀吉は、信長の死を知らない毛利勢の安国寺恵瓊と講和の交渉をします。城主清水宗治の切腹で手打ちをして、すぐに京都に向けて中国大返しを行い、京都の西に当たる山崎の合戦で明智光秀の軍を破るのです。これによって、秀吉は、清洲会議において実質的な信長の後継者となり、ライバルの柴田勝家を賤ヶ岳の戦いで破り、北之庄城(福井市)に追い詰めて絶命させます。そして、いよいよ信長の跡をついで、天下人への道をひた走るようになるのです。

次のページを読む
1 2 3 4
Share: