安土桃山時代室町時代戦国時代日本の歴史

豊臣秀吉はなぜ千利休を切腹させた?2人の関係をわかりやすく解説

豊臣秀吉が天下を統一したことによって利休との関係に変化が

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しかし、いよいよ、秀吉と利休の関係が変化してしまう時が来ます。すなわち、小田原城攻めで、北条氏を自害させたことで、秀吉はついに名実ともに天下人になり、日本の政権を担う存在となったのです。

秀吉は天下統一から天下統治に軸足が変化

天下人となった秀吉にとっては、興味は、天下統一の戦いから、天下の統治に移っていくのです。刀狩りや検地などで、天下の統治に必要な知識、技量を持った五奉行が重用され、力を持つようになっていきます。その中心にいたのが、石田三成でした。すでに利休が持っていた日本各地の情報は必要がなくなっており、天下人になった秀吉には堺の町衆も従うようになっていたのです。

そのために、利休の置かれた立場には変化が訪れているのですが、利休自身はその事を恐らく知っていたのでしょう。しかし、利休は、それを無視してこれまでの秀吉との関係を続けようとしたのです。

武人の登用から五奉行の登用へー石田三成の登場

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特に、五奉行の中でも、長浜時代から可愛がってきた石田三成が官僚としての才覚を現し、秀吉の最側近となっていきます。石田三成にとっては、自分の唯一の上司である秀吉に対して、時として上から目線でものを言う利休の存在は以前から許せないものだったと言えるでしょう。そのために、統一以前にも、利休の出過ぎを秀吉に報告し、注意していましたが、天下人となってからは、その動きは加速していきます。

堺の役割の変化と御朱印状による堺の没落

まず、利休の地盤を崩すことが行われます。すなわち、外国との貿易は、御朱印状が無くては行えないようになったのです。これは、これまで海外貿易を独り占めにしてきた堺の商人たちにとっては大打撃でした。しかも、御朱印状を発行する権限は五奉行が握っています。千利休にはどうしようもなくなり、堺の町衆とその情報を失ったのです。

石田三成の讒言による利休への信頼性の低下

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さらに、石田三成は、利休の思い上がった言動を探り、ことあるごとに秀吉に報告したため、秀吉の利休に対する感情は、従来の嫉妬心もあり、燃え上がっていったのです。

一方の利休は、そのような変化に関係なく、上から目線で対応します。綺麗な朝顔が咲き乱れていることを秀吉に伝えて招待しますが、実際に秀吉が訪れた時に利休が見せたのは違っていました。咲き乱れる朝顔の花ではなく、それらをすべて切ってしまい、茶室に大輪を咲かせている一輪の朝顔だけだったのです。朝顔の咲き乱れる美しさを楽しみに訪れた秀吉に対して、利休は侘び茶の境地を説明するのみでした。元々、風来坊から成り上がった秀吉には、「わびさび」の精神は理解できません。そのため、当然、秀吉は大いに怒ります。

このように利休の姿勢は、秀吉には理解されず、利休の立場はどんどん悪くなっていきました。

関係を悪化させた聚楽第の黄金の茶室

さらに、利休は秀吉の嫉妬心に火をつけることをします。秀吉は、京都の聚楽第に黄金の茶室を作らせて得意になっていました。しかし、千利休はその茶室を認めず、批判したのです。直接秀吉に言ったわけではなかったのでしょうが、茶道の侘びさびの世界観とはかけ離れた黄金の茶室を利休がよく言うわけはありませんでした。

恐らく、これも石田三成などからの報告で秀吉の耳にも入ってしまいます。自分の得意の茶室をけなされた秀吉は、非常に怒ったと言われているのです。

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