イギリスヨーロッパの歴史

イギリス国旗はイギリスの歴史そのものー国旗の意味と統合の歴史を解説

日本ではヨーロッパの国として最も知られている国であるイギリスですが、日本以外の国やイギリス本国での呼び方はなんと違っているのです! 実はその裏側にはイギリスの歴史やこれまでイギリスが歩んでいった道のりなどが大きく関わっているのです。 そこで今回はそんなイギリスとイギリスに支配されていた植民地の歴史をイギリス国旗の意味を中心にして見ていきたいと思います。

ほんとは別の国でした。イギリスの歴史と国旗の成り立ち

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今でこそみんなイギリスと言うのですが、この国の正式名称はグレートブリテン及び北アイルランド連合王国と言います。これは日本だけの名称だけではなく英語でもTHE UK(United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland  要するに連合王国)と呼ぶんだとか。

まずは、どうしてこんなに長い国名になったのか?そしてどの様にして今のあのイギリスの国旗になっていったのかを見ていきましょう。

イングランドとスコットランド

今でこそグレートブリテン島はイギリスのみの国となっていますが、もともとこの島には3つの国がありました。それがイングランドとスコットランドとウェールズです。

今でもスコットランドはちょくちょく独立運動を起こすことがありますが、実はもともと違う国だからなのですね。

それはともかく、そんな別々の国であったイングランドとスコットランドが同じ国になり始めたのが1603年のこと。日本では江戸幕府が成立した年でもあります。

この年イングランドを治めていたテューダー朝の女王であったエリザベス1世が死去。さらにはエリザベス1世は「国家と結婚した」と言ったとされ結婚はせずじまい。そのため子供はおらず、テューダー朝はなんと断絶となってしまったのです。

これは困ったイングランド。なんとかしてこの国を存続させなければなりません。

そこでイングランドの有力な政治家はお隣の国であるスコットランドから王様を招待させて即位させるべきとする意見が出てきます。

これにはいろんな政治家たちも「異議なし」と言ったのでしょうか。この意見が通りエリザベス1世の死後スコットランドの王様であったジェームズ6世が即位。しかも、このジェームズ6世は欲張りなことにスコットランドの王位も継承したのでここからはイングランドとスコットランドの同君連合として動いていくことになるのです。

いろいろ変わったピューリタン革命

こうしてイングランドとスコットランドは同君連合となり、統一の下地が作られていきましたが、その46年後にその下地を一回ぶち壊してしまう出来事が起こってしまいます。

1649年、イングランドにおいて暴政を敷いていたチャールズ1世に対してピューリタン(清教徒)がクーデターを起こし、いわゆるピューリタン革命が勃発しました。

ピューリタン革命という革命は学校ではイギリスの絶対王政が倒されてしまい、そのかわりに共和政となったと教えられることがありますが、実はこの革命はスコットランドとイングランドの内戦とも言えるのです。

上にも書いた通りこの頃はイングランドとスコットランドの同君連合。なのでもともとイングランドの王様はスコットランドの王様なのです。そのためスコットランドの方では反革命派が優勢だったのでした。これに対して革命を主導したクロムウェルという人は自身の軍隊である鉄騎隊を率いてスコットランドを討伐。

さらにはお隣の島であったアイルランドも征服していったのでした。

アイルランドの征服

上にも書いた通りクロムウェルはお隣のアイルランドにも侵攻します。なんでクロムウェルが革命のどさくさでこの島を侵略したかというと、実はもともとアイルランドという国はカトリックが多く住んでいた国だったからなのです。

一方のイングランドはこの頃はイギリス国教会と呼ばれるどちらかといえばプロテスタントの考え方に近いキリスト教を信仰していたため、もともとこの両国は馬が合わなかったのでした。

そしてアイルランドはクロムウェルによって粉砕。アイルランドはイングランドに吸収されてしまい、イングランドの一部となってしまったのです。

イングランドとスコットランドの統一【イギリスの誕生】

こうしてイングランドではピューリタン革命という荒波が起こったりもしていましたが、クロムウェルの過激な思想は到底イングランド国民に受け入られるはずもなくイングランドは結局王政復古が起きてしまい、その後起こった名誉革命後では立憲君主制ではありつつも王様が復活します。

しかし、この名誉革命がイングランドとスコットランドの統一に強く関わっていくのです。

名誉革命という革命は簡単に言えばイングランドの議会が王様をオランダに逃亡した革命のことですが、王様は逃亡しただけですので世界には2人のイングランドを統治している王様がいるという異常事態が起こってしまいます。

また、再三説明しますが、イングランドの王様は元々はスコットランドの王様だったためスコットランドの方ではこれを大義名分として独立運動が激化する現象を起きてしまいました。

「これはまずい!」そう感じた当時の女王であるアン女王は1706年、議会においてイングランドとスコットランドの統合に関する交渉が開始されていきます。

そして翌年の1707年にこの交渉は成立。スコットランドが合同法を可決したためイングランドとスコットランドは統合。グレートブリテン王国が誕生し、それに合わせて国旗もスコットランドとイングランドの国旗を合わせたいわゆるユニオンジャックが誕生したのでした。

各国旗の意味

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さて、これまではイギリスの国旗であるユニオンジャックがどの様にして出来上がったのかを見ていきましたが、次はそれぞれの国の国旗にどんな意味が込められているのかについて見ていきましょう!

イングランド王国の国旗の場合

イングランドの国旗には白地に赤十字の旗となっています。この旗は聖ジョージと呼ばれる古代ローマ時代にドラゴンと勇ましく戦った英雄を称えた旗であり、イングランドの守護聖人の旗としても知られているのです。

ちなみに、日本の守護聖人はフランシスコ・ザビエルだそうだとか。

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