明治維新は戊辰戦争で完結
薩摩と長州は、新政府を打ち立て、王政復古を宣言して、幕府討伐に向かいます。これによって明治維新は成立し、戊辰戦争へと突入していくのです。将軍慶喜が江戸に逃げ帰ったことで、新政府に恭順する諸藩が続出し、政府軍は快進撃を展開し、江戸を目指しました。そして、勝海舟と西郷隆盛の会談によって江戸攻撃は回避されますが、徳川慶喜は、幕府の領地と財産を政府に返上し、水戸に隠居することになったのです。江戸幕府は、ついに260数年の歴史に幕を閉じました。
政府軍は、特に長州が京都で痛い目にあった会津藩に向けてさらに攻撃を続けますが、会津の鶴ヶ城が落ちて一応戦争は終わります。(まだ、箱館戦争などは続きましたが、本土での戦いは終わったのです。)
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明治維新後の明治政府における薩摩と長州
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薩長同盟を転機として成功した明治維新後の明治政府は、やはりこの薩摩と長州が中心に組織されました。しかし、藩主と言われた人たちはすべて政府には参加できませんでした。旧体制の崩壊を目指していた長州と薩摩を中心とした勢力は、藩士たちのリーダーによって成り立っていたのです。
その他にも、佐賀、土佐などの藩士たちも明治政府に参加しました。しかし、明六の政変と言われる政治闘争によって、西郷隆盛が去り、同時に多くの他藩の藩士だった人たちも下野したのです。さらに、下野した旧藩士たちは、明治政府を批判して、反乱を起こして鎮圧されます。また、下野した西郷も薩摩の若い反政府の旧藩士たちを抑えられず、西南の役を起こして亡くなりました。同じ年には、明治政府を主導していた薩摩の大久保利通も暗殺されてしまいます。
西南の役後の明治政府は長州閥が牛耳る
そのため、その後の明治政府は、長州藩出身の伊藤博文や山県有朋らが中心になって引っ張ることになったのです。薩摩からも黒田清隆などが残って総理大臣にもなりますが、主導権は長州が握ります。最終的には、山県有朋が率いた長州閥と陸軍が力を持つようになり、戦争への道を走るようになっていったのです。この流れは、第二次世界大戦後も続いており、有力な首相経験者には、長州、すなわち現在の山口県が多く輩出しています。
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薩長同盟_小異を捨て大同につく覚悟が時代を動かす
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歴史上、時代が変化する時には、必ず、大きな決断をする必要が出てきます。現代は、第二次世界大戦後の冷戦の時代が終わり、混とんとした時代に突入しているのです。薩長同盟を見ても、これまでのしがらみを一切排して、小異を捨てて大同につく覚悟がなければ、この時代を乗り越えるのは難しいかもしれませんね。
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