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ピラミッドの目的とは?謎多き神秘の巨石建造物は何を物語る

世の中には奇妙な遺跡や建造物がたくさんあります。不思議な建造物をひとつ挙げてと言われたら、多くの人が「エジプトのピラミッド」と答えるのではないでしょうか。いったい何のために?あんな大きなものどうやって?砂漠の中に突如として現れた不思議な三角形の物体に、きっと誰もが心奪われるに違いありません。ナイル川のほとりに佇む静かなる巨人が、自ら語り始める日が来るのでしょうか。

いつ頃から?どこにある?エジプトのピラミッドの基礎知識(1)

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ピラミッドというと、スフィンクスとともにエジプトの砂漠地帯の中にそびえる巨大なピラミッドをイメージする人が多いと思いますが、ピラミッドは他にもたくさん存在します。実はエジプト以外の地域でも、ピラミッドがいくつか発見されているのです。まずはピラミッドとはどういうものなのか、基本的な情報をまとめましょう。

語源は何?エジプトのピラミッドの歴史とは

ピラミッドとは石材をブロックのように積み上げて築かれた建造物です。内部に通路や階段、小部屋などが配置され複雑な構造をもつものも。大きさは10数メートルのものから140メートルを超えるものまで様々です。

一般的に「ピラミッド」と言えば、古代エジプト文明で造られたものを指します。スフィンクスとともに観光名所となっている「ギザの三大ピラミッド」に見られるように、四角錐(しかくすい)の形のものが多いですが、異なる形をしたものもいくつかあり、形の定義は特に決まっていません。

古代エジプト王朝は、ナイル川下流のデルタ地帯を中心に紀元前3000年頃から栄えていたと考えられています。周囲は砂漠地帯ですが、ナイル川流域には肥沃な土壌が広がっていました。以後、紀元前7~6世紀頃に他国(アッシリアやペルシア王朝)に征服されるまで、およそ2500年近く、エジプトの地で栄華を極めていきます。

ピラミッドはそのエジプト王朝の中で、紀元前2600年代から紀元前1500年代のおよそ1000年ほどの間に建設されました。

ピラミッド(Pyramid)という名称の由来は、実のところはっきりしていないのだそうです。ギリシャの四角錐型のパン「ピラミス」から来ているという説が有力。エジプト王朝末期の頃、ギリシャから多くの入植者があったとされているため、ピラミッドを見たギリシャ人たちがそう名付けたのではないか、と考えられています。

エジプトにピラミッドは何基ある?

エジプトのピラミッドは、2010年頃までに約140基確認されています。土地柄、数千年の間に舞い上げられた砂に埋もれてしまったピラミッドも多く、山かピラミッドか区別がつかない状態のものもあるようです。ピラミッドの調査は現在でも進められており、数は今後も増えていく可能性があります。場合によっては新しい発見・学説が打ち出されるかもしれません。

エジプトのピラミッドは、アフリカ大陸東海岸を南北に流れる世界最長の大河・ナイル川に沿って建てられています。現在の首都・カイロは下流域に近いところにありますが、エジプト王朝では中流域に都があったた時代も長く、ピラミッドはナイル川全域に点在。しかもそのすべてが、川の西側(地図で見ると左側)に連なっているのです。

ナイル川の西岸にピラミッドが連なる理由は、西は日の沈む方向であり、死者の領域であるという考えから来ているといわれています。理由はともあれ、川の西側に整然と並ぶピラミッドは実に神秘的です。

最古とされるエジプトのピラミッドは「ジェゼル王のピラミッド」といい、カイロから30㎞ほど南下したサッカラという地域に残っています。建設は紀元前2600年頃で、高さ約62メートル、底辺は100メートルほどのやや長方形の裾野を持つ階段状の形状。表面はまだ、まっすぐな斜面ではなく、5段ほどの段々状になっています。おそらくまだ、正確な正方形の四角錐を作る技術が成熟していなかったのでは、との見方もありますが、とにかく初期の頃は階段ピラミッドが多いようです。

エジプト以外にもある?中南米のピラミッド

「巨石を積み上げて築いた四角錐状の建築物」は、中南米の国々の遺跡でも見ることができます。

メキシコ東部に紀元前2世紀から6世紀まで栄えていたテオティワカン文明の巨大遺跡群の中にも「太陽のピラミッド」「月のピラミッド」と呼ばれる階段状の建造物が。高さ数十メートルにも及ぶこのピラミッドには、外側に階段が造られていて上まで上ることができるようになっています。こちらも建造の目的は諸説あるそうですが、神殿や祭壇など神々を信仰するためのものものという見方が強いようです。

また、メキシコ南部を中心に栄えたとされるマヤ文明にも、やはり大きな階段が配置されたピラミッド状の建造物が造られています。こちらも段々状になっており、祭壇や天文台を彷彿とさせる形状。頂上がやや平らになっているピラミッドもいくつか発見されているそうです。

少し毛色の違うものとしては、イタリア・ローマに「ガイウス・ケスティウスのピラミッド」と呼ばれる、白い大理石でコーティングされたピラミッドがあり、ちょっとした観光名所に。古代ローマの役人・ガイウス・ケスティウス・エプロの墓で、紀元前18年~12年頃に造られたものと推測されています。滑らかで均整のとれた四角錐をしており、高さは36mほど。かなり迫力があります。エプロ本人の意向で建てられたものらしいですが、エジプトに憧れを抱いていたのかもしれません。

大きさは?素材は?エジプトのピラミッドの基礎知識(2)

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ピラミッドについていろいろと見てまいりましたが、結局ピラミッドとは何なのか、知れば知るほど謎が深まる気がしてなりません。ピラミッド建造の目的について考えるため、素材や建築方法など、もう少し具体的な情報を集めてみたいと思います。

世界一有名なピラミッド:ギザの三大ピラミッド

「ギザの三大ピラミッド」は、おそらく最も有名で、最も多くの観光客が訪れるピラミッドではないでしょうか。3基の巨大なピラミッドが連なる様子は圧巻。すぐ近くにスフィンクスが鎮座し、周囲で神殿や祭壇と思われる遺跡群が数多く見つかっています。

ギザまでは首都カイロから地下鉄やバスなど公共の乗り物でも移動できるので、交通の便がよく、旅行者も訪れやすい観光地。雄大な砂漠の中にぽつんと建っているイメージが強いですが、すぐ手前まで集落が迫っていて、非常に観光しやすいところも人気のポイントです。

3基のピラミッドは、クフ王、カフラー王、メンカウラー王の墓陵とされています。建設時期はいずれも紀元前2500年頃(エジプト第3~第6王朝時代)。エジプト王朝が大変栄えていた時代で、ピラミッドの建築技術の粋を集めて築かれたもの。もちろん、規模も最大級です。

中でも最も大きいクフ王のピラミッドは高さ140mにもなります。クフ王のピラミッドは、1300年代にイギリス中東部にリンカン大聖堂(尖塔も含めると当時の高さ160m)が完成するまで、世界で最も高い建物だったのです。近世の人々にとっても、石を積み上げ高い建物を建てることは難しいことだったのでしょう。

ギザのピラミッドは「メンフィスとその墓地遺跡」という名称で世界遺産に認定されています。

ピラミッドは何でできている?

ギザのピラミッドには、近くの石切り場から切り出された石灰岩や、はるか1000kmほど離れたところから運んできた花崗岩などが使われています。遠方からはナイル川の流れを使って運び込んだようです。

ピラミッドは大変大きな建造物なので、遠くから見ると、表面は滑らかで平らなのかと錯覚しがちですが、実際には大きな石がたくさん積み上げられていて、表面は平らではありません。ただ、ピラミッド建設当時は、表面は磨かれた化粧石で覆われていたといわれており、太陽の光を浴びて白く輝いていたと考えられています。近くでよく見ると、今は赤茶色をしている石の表面に白っぽい痕跡が見られるのだそうです。

クフ王のピラミッドに積み上げられている石の大きさは均一ではありません。下部分は人の背ほどあるものが中心で、数十トンから百トン以上になると思われる巨石が土台を支えています。上に行くほど石は小さくなっていきますが、それでも重さは数トン。石の数は280万個にも及ぶのだそうです。これを100m以上もの高さまでどうやって積み上げたのか、現在でも多くの説が語られています。

ギザのピラミッドは、石の積み方の正確さでもたびたび話題に。クフ王のピラミッドの底辺はおよそ230m。東西南北にほぼぴったりと合わせて建てられており、誤差はほんのわずかなのだそうです。

ピラミッドはその圧倒的な大きさと精度の高さから、欧米諸国の人々を中心に多くの人々を魅了してきました。均整の取れた形に底知れぬパワーを感じる人が多かったようです。それは現代人にとっても同じで、ピラミッドパワーを求めてギザの地を訪れる人も少なくありません。

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