ヨーロッパの歴史

「国際連盟」とは?なぜ崩壊した?失敗の要因をわかりやすく解説

アメリカ発の世界恐慌が各国を襲う

そして、1920年代の最後の1929年には、アメリカの金融市場において世界恐慌のきっかけになる株式の大暴落が生じたのです。この当時のアメリカはすでにイギリスを抜いて世界一の経済力になっていました。そのため、このアメリカ発の恐慌は、間に世界に波及していったのです。この世界恐慌の発生は、全会一致が原則の国際連盟にとっては、致命傷になるものでした。各国は自国の利益を優先せざるを得なくなり、各国の利害は対立したのです。

国際連盟の崩壊へ_1930年代の混乱時代へ

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世界恐慌の拡大は、国際連盟を機能不全に陥らせただけでなく、各国が勝手な自分達だけのエリアを作って、それ以外からの輸出入に重い関税を掛ける、ブロック経済化をもたらします。イギリスが1932年に行った大英帝国内のブロック経済が最初でした。他国も、対抗して自国の植民地とブロック経済化を導入したため、世界経済はなかなか回復しなくなったのです。

それは、敗戦国であったドイツや、古い時代から植民地を持っていなかった日本などは特に経済的ダメージが大きくなりました。経済的にも外交的にも孤立するようになり、領土の拡張主義に走らざるを得なくなったのです。

満州事変による日本の拡張_軍部の台頭

日本は、中国への進出を強め、1931年には満州事変を起こし、勝利して満州全域を支配するようになり、傀儡政権である満州国を建国します。

リットン調査団と日本の国際連盟脱退

日本の満州国建国に対して、国際連盟からリットン調査団が派遣され、結果として満州国建国は住民の意思で行われたものではなく、日本に現状復帰させるのが妥当という報告書を提出します。この報告に、当事者である日本は投票に加われず、珍しく全会一致でリットン調査団の報告書が採択されたために、日本の全権大使であった松岡洋右は国際連盟脱退を宣言したのです。そして、満州国に駐留していた日本の関東軍は、中国本土への進出を目指して中国の共産党軍と戦います。その後、盧溝橋事件をきっかけとして、1936年に宣戦布告のないままに、長い日中戦争に突入するのです。

ヒトラーによるドイツの拡大主義

ヨーロッパでは、ヒトラーが、1933年に国際連盟を脱退します。そして、今のチェコスロベニアのズデーテン地方に軍隊を進出させ、ドイツ編入を主張したのです。これに対して、ヨーロッパで国際会議が開かれました。しかし、当時のイギリス首相であったチェンバレンは、宥和政策を唱えて、認めてしまいます。チェンバレンはヒトラーを勢い付かせるだけだと批判を浴びますが、実際にその通り、ヒトラーはソ連と不可侵条約を結んでポーランドに攻め込み、占領して自国領土に組み込しまったのです。

その間、全会一致が必要な国際連盟は全く機能することが出来ずにいました。その結果、ドイツは、今度はベルギー、フランスに進行するようになり、ヨーロッパでも戦争が始まったのです。

国際連盟の崩壊

その結果、国際的に孤立していたドイツ、ファシズムの台頭したイタリアと日本は三国同盟締結に踏み切ります。そして、国際連盟は実質的に何もできないままに、機能不全に陥り、崩壊していったのです。(但し、国際連盟そのものは第二次世界大戦中も形は存在、1945年に設立された国際連合に組織は引き継がれることになっています。)

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