イタリアヨーロッパの歴史古代ローマ

なぜ殺された?人類史上最高クラスの偉人「ユリウス・カエサル」の生涯をわかりやすく解説

ユリウス・カエサルもしくはジュリアス・シーザーという名を、ほとんどの方は耳にしたことがあるかと思います。古代ローマを代表する偉人ですが、その政治・軍事手腕は人類史上屈指のものでした。借金王で女たらしだったとも伝わる彼がなぜそこまで偉大だと言われるのか…彼の人生を紐解き、検証してみたいと思います。

没落貴族の家に生まれて

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名門ながらも没落した貴族の家に生まれたユリウス・カエサルは、政敵に追われて亡命するなど、若い頃から苦労を経験してきました。しかしそれは、彼の内に秘められた才能があったからこそ。とはいえ、この時に命を奪われずに済んだことは、彼にとって大きな幸運であり、運命の分かれ道でした。カエサルの若かりし頃を見ていきましょう。

ユリウス・カエサル=ジュリアス・シーザー

前100年、ユリウス・カエサルは没落貴族の家に生まれました。本名は、ガイウス・ユリウス・カエサルと言います。古代ローマの名前は、それを見ただけで氏族も家もわかるようになっており、彼は「ユリウス氏族に属するカエサル家のガイウス」でした。また、ジュリアス・シーザーというのは英語読みとなります。

父も彼と同じ名で、法務を司る司法官(プラエトル)から属州(ローマの同盟都市以外で領土となった場所)総督にまでなった人物でした。母の家も執政官(コンスル/共和制ローマの最高職)を何人も輩出した名門だったそうです。

しかし、カエサルが生まれた頃には、すでに家は没落していました。そのため、カエサルが幼いころに何をしていたかははっきりとしていません。

混沌としたローマの政情に巻き込まれていく

前84年、父の死去に伴い、カエサルは16歳で家長となります。翌年には最初の結婚もしました。

当時、ローマの情勢は混沌としていました。民衆による選挙政治を掲げた民衆派(ポプラレス)と、元老院による寡頭政治を推進した閥族派(オプティマテス)が対立していたのです。

元老院とはローマの最重要機関で、実質上、外交や財政など国家運営における決定権を持っていました。元老院議員になるためには多くの条件をクリアしていなければならず、結果的に優秀なエリートでなければなれませんでした。

民衆派の中心人物は、カエサルの義理の叔父でした。そのため、カエサルも民衆派とみなされていたのです。それが、彼が不遇な時代を送る要因となってしまったのでした。

大物・スッラは彼の資質を見抜いていた

ローマの情勢は、閥族派のスッラが権力を握ると、反対派である民衆派を粛清にかかりました。となれば、民衆派とみなされていた18歳のカエサルもまた、その対象となったのです。しかし、彼はまだ若く、大した活動もしていなかったことから、助命嘆願の声が多く寄せられ、さすがのスッラも渋々それを受け入れることになりました。

ただ、スッラこそカエサルの非凡さをいち早く見抜いていた人物だったのです。

カエサルの助命を認めた彼は、こう言いました。

「君たちにはわからんのか?あの若者の中には、多くのマリウスがいるのだぞ」

マリウスとは、カエサルの叔父であるガイウス・マリウスのこと。彼は民衆派の中心人物で、スッラにとっては最も危険な相手でした。

また、スッラは、カエサルの妻が民衆派の大物の娘だったことから、彼に離婚を命じました。しかしカエサルはこれを拒否し、小アジアへと亡命することになったのです。彼が政治の表舞台に立つには、まだ時間が必要でした。

弁舌、借金、陰謀、買収…何でもござれの青年期

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ローマに帰還したカエサルは、得意の弁舌を生かして名を挙げていきます。政争に敗れて雌伏の時を過ごすこともありましたが、キャリアを着実に積み上げた彼は、出世街道を邁進し始めました。多額の借金や陰謀・買収などもいとわずに、彼はひたすら上を目指して歩いて行くこととなります。

第一の武器は弁舌!告発の連続で名を挙げる

前78年、カエサルはスッラの死去に伴いローマに帰還します。亡命後、属州で任務についた彼は、ビテュニア(小アジア北西)遠征で功績を挙げ、着実にキャリアを積んでいました。

そして帰還した彼は、巧みな弁舌を生かしてあっという間に名を挙げます。当時、属州では総督さえもが収賄や脅迫に手を染めていたという事実があり、カエサルは臆することなく彼らを告発したのでした。ローマでは弁舌が立つかどうかは出世を左右する大事な要素。すでに彼はそれを備えていたのです。

執政官さえも告発した彼でしたが、それが不発に終わることもありました。相手の報復を恐れた彼は、ロドス島へと逃亡し、またしても雌伏の時を送ることとなったのです。

アレクサンドロス大王と自分を比べて焦る

やがてほとぼりが冷めると、カエサルはローマに戻りました。そして軍団司令官や財務官に任官し、元老院議員となるためのキャリアを積んでいきます。

この時カエサルは31歳でしたが、アレクサンドロス大王の像を目にする機会がありました。すると、彼は「私はアレクサンドロス大王の年齢になったというのに、何も達成していない」と嘆いたといいます。彼の中にも立身出世という野望があったことがわかりますね。

しかしその後、彼は元老院の議席を得ると、政敵スッラの孫娘と再婚し、その財産を存分に利用して買収や陰謀を縦横無尽に行い、政治の中心に躍り出ました。公共事業も大々的に行い、その存在感を世間に知らしめていったのです。

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