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史上初の株式会社?!「オランダ東インド会社」の栄枯盛衰を詳しく解説

世界史の授業で「オランダ東インド会社」という単語を暗記した、という方も多いと思います。歴史の授業で習う言葉としては奇妙な感じがしますが、オランダ東インド会社とはいったい、どういうものだったのでしょうか。今回はちょっと不思議な響きを持つこの言葉に注目。インドなのオランダなの?会社なの?いつ頃のことなの?等々、オランダ東インド会社について詳しく解説していきます。

オランダ東インド会社とは?いつからある?何のため?

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16世紀頃のヨーロッパでは、スペインやフランス、オーストリアなど絶対王政を主軸とする強国が台頭。カトリック教会の力も強まり、ルネサンスや宗教改革など大きな変化が次々と起きて、人々の価値観も大きく変わろうとしていました。大きな船で外洋に漕ぎ出す「大航海時代」もこの時代から。ヨーロッパでは手に入らない珍しい品々を求めて、多くの国々が競い合うように新天地を目指しました。そんな時代に設立されたのが「オランダ東インド会社」。いったいどんな「会社」だったのでしょうか。まずは成立時の様子や時代背景などについて見ていきましょう。

そもそも「東インド会社」とは何なの?

「東インド会社」とは、17世紀頃、アジア地域との貿易独占権を与えられた特別な組織のことです。

具体的には、ヨーロッパの東側地域と貿易する特権を与えられた勅許会社(ちょっきょがいしゃ:その国の君主や行政機関から許可状を得た会社)ということになります。

こうした組織を設立していた国は、イギリス、オランダ、スウェーデン、デンマーク、フランスなど。各国によって、組織の形態や考え方に違いがあるのでひとくくりにすることは難しいですが、どの国も、名称に英語でいうところの「Company(カンパニー)」にあたる単語を当てているので、日本語では「会社」と訳して差し支えないでしょう。

「インド」と呼んでいる理由は、16世紀頃のヨーロッパの認識では、「インド=東のほうの土地すべて」という理解になっていたからです。

まだ、世界にどんな国や地域があるか、地球全体の様子が分かっていなかった時代。インドの東のほうにもっといろいろな地域があるなど、誰も知らなかったのですから無理もありません。この場合の「インド」とは、ヨーロッパ以外の地域のことを指す言葉である、とざっくりと解釈したほうがよさそうです。

16世紀にヴァスコ・ダ・ガマがアフリカ南端喜望峰を経由してインド洋に出る航路を開拓してから、ヨーロッパ人たちはひたすら「インド」を夢見て航海を続けました。

余談ですが、「それなら、もしかして西インド会社っていうものもあったの?」という疑問がわいてくると思います。もちろん、ありましたよ。西インド会社。アメリカやメキシコに面したカリブ海に「西インド諸島」と呼ばれる島々があると思いますが、大航海時代、あの島々はヨーロッパ諸国の植民地になっていました。なぜインドと名がついているのか?と言えば、ヨーロッパ以外の地域であり、ヨーロッパの西のほうにあるから。コロンブスがこの島々に上陸したとき、インドに着いたと勘違いしたため、とも言われています。

オランダ東インド会社はいつ設立された?

オランダ東インド会社は、1602年3月20日、オランダで設立されました。

それより2年早く、1600年にイギリス東インド会社が発足していますが、この時はまだ、株式会社というより「エリザベス女王に貿易許可をもらった商人集団」といった色合いが強かったようです。イギリス東インド会社が本格的な株式会社となったのは17世紀半ばになってからといわれています。

オランダ東インド会社の正式名称は「連合東インド会社(Vereenighde Oost Indische Compagnie )」「VOC」という略称で知られています。大きなVの字に、OとCを重ねたロゴマーク、ご欄になったことがある方もいらっしゃるでしょう。赤・白・青の横ストライプというオランダ国旗を象ったオランダ東インド会社の旗にも、このロゴが描かれています。

会社はアムステルダム、ホールン、エンクハイゼン、デルフト、ロッテルダム、ミデルブルフの6つの都市に拠点を置いて活動。さらに、インドやアジア地域での貿易の拠点には「オランダ商館」と呼ばれる施設が設けられ、オランダ東インド会社の支店のような役割を担っていました。

会社の母体となるのは、もともと個々に東洋貿易を行っていたオランダの大商人たち。彼らがそれぞれ出資をし、集まったお金をもとに船を出し、船が無事戻ってきて得た儲けを出資者たちに配当する……。大口出資者の中から選ばれた17人が重役となり、会社の運営を行っていたといわれています。

オランダ東インド会社の設立の背景とは?

オランダはどうして、東インド会社を設立したのでしょう。

それには、16世紀~17世紀頃のヨーロッパ情勢が深く関係しています。

まず、オランダは1581年に「ネーデルランド連邦共和国」としてスペインからの独立を宣言したばかりでした。それより前の1568年からずっと、独立のための戦争を続けてきた結果です(八十年戦争)。

これに対し、スペインはオランダとの貿易を禁止し、経済的な打撃を与えようとします。

これは困りました。独立はしたいが、スペインとの貿易ができなくなると、東方の香辛料なども手に入らなくなり、ヨーロッパ経済界からどんどんおいていかれてしまいます。

スペインに対抗できるアジア航路の独自開拓。これが新生オランダに課せられた課題だったのです。

オランダでも、大商人たちは個別に船を出し、胡椒など珍しいスパイスを仕入れては商売を行っていました。しかし現状では、下手をすると国内での潰しあいになってしまうこともあり、他国に対抗できるほど力を発揮できません。

そこで浮かんだのが、大商人たちがひとつにまとまり、大きな会社を作るというアイディア。こうしてオランダ人たちはこの苦境を乗り越えようと一致団結し、オランダ東インド会社を設立するに至ったのです。

オランダ東インド会社の活動内容は?いつまで続いた?

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オランダには「世界は神が作ったが、オランダはオランダ人が作った」ということわざがあります。それほど広くない国土、低湿地帯が国土の大半を占め洪水も多い。何かと工夫をしなければ町も農耕地も作れない国。逆に見れば、古くから卓越した干拓技術を持ち、風車など風を利用した動力に親しんでいたわけで、これが高度な造船技術へと結びついていったと考えられています。そして設立された東インド会社。大航海時代を勝ち抜く条件は揃いました。オランダ東インド会社がどうなっていったのか、その後を追いかけてみましょう。

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