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諸民族が離合集散を繰り返した「古代オリエント」を元予備校講師がわかりやすく解説

エジプト、シリア、イラクなどの地域は、かつてオリエントとよばれました。ギリシアやローマに比べ東方にある世界という意味です。オリエントはエジプトやメソポタミアといった地域をまとめて表現するときに使う地域名ですね。オリエントには紀元前4000年頃から古代文明が栄え、様々な民族が興亡を繰り返しました。今回は古代オリエントの大まかな歴史について、元予備校講師がわかりやすく解説します。

オリエントの風土

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オリエントは大きく分けるとエジプトメソポタミアの二つに分けることができます。エジプトの文明をはぐくんだのはナイル川でした。ヘロドトスはエジプトを「ナイルのたまもの」と表現しましたが、まさにその通りです。ナイル川の恵みがエジプト文明を作り上げたといえるでしょう。

また、エジプトは周囲を砂漠と海に囲まれた閉鎖的な地形。そのため、外敵の侵入が比較的少なく、長期にわたって独自の文明を維持しました。

一方、メソポタミアはティグリス川ユーフラテス川を中心とした地域。ナイル川と異なり、この二つの河川はたびたび氾濫しました。それでも、豊かな水は流域を潤し、周辺に古代文明を花開かせます。メソポタミアは周辺から侵入しやすい地形だったため、メソポタミアの富を求めて多くの民族が流入し興亡を繰り返しました。

メソポタミア文明

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紀元前4000年頃、メソポタミア南部のティグリス・ユーフラテス川下流域にシュメール文明が誕生しました。初めてメソポタミアを統一したのはアッカド人でした。その後、都市国家の乱立時代を経てアムル人のバビロン第一王朝がメソポタミアを統一します。紀元前1700年頃、現在のトルコにあたる小アジアに進出したヒッタイト王国は鉄を使用することで周辺諸国より有利な立場に立ちました。

シュメール人とアッカド人

紀元前4000年頃、ティグリス・ユーフラテス川の下流域に人々が集まり、いくつかの都市国家を作りました。シュメール文明の始まりです。シュメール人たちはウルウルクラガシュといった都市を中心に水を河川から引いて大規模な農業をおこないました。

シュメール人たちは統一王朝を作ることなく、都市国家が分立抗争します。シュメール人の都市には聖塔(ジッグラト)がつくられ、神官が祭祀を行いました。

シュメール人たちが使っていた楔形文字は、その後長くメソポタミア地域の文字として使用されます。シュメール人たちの残した最古の神話「ギルガメッシュ叙事詩」では大洪水についての記述があり、旧約聖書のノアの箱舟のエピソードを思い起こさせますね。

紀元前2371年、メソポタミアのアッカド地域を支配していたアッカド王サルゴン1がシュメール人の住むメソポタミア南部を制圧。はじめて、メソポタミア地域を統一します。残されている彫像から、長いあごひげを蓄えていたことがわかりますよ。

ハンムラビ王で有名なバビロン第一王朝

紀元前2000年頃から紀元前1900年頃まで、メソポタミアにセム語系やインド・ヨーロッパ語系の民族がやってきました。その中にセム系遊牧民であるアムル人がいます。アムル人たちはティグリス・ユーフラテス川の中流域にあたるバビロニア地方に自らの王国を建国。それが、バビロン第一王朝ですね。

バビロン第一王朝はバビロンを都とし、メソポタミア全域を支配して繁栄しました。のちに現れる新バビロニア王国と区別して、古バビロニア王国ともいわれますね。

バビロン第一王朝の最盛期は紀元前18世紀ころに登場するハンムラビ王の時代です。ハンムラビ王といえば、「目には目を歯には歯を」でおなじみの復讐法ハンムラビ法典で有名ですよね。

ハンムラビ王はそれまでに存在していたシュメール人の法典などをまとめ、ハンムラビ法典という形で集大成したとされます。バビロン第一王朝はハンムラビ王の死後、急速に衰退。周辺諸民族に圧迫され弱体化しました。

鉄を用い精強さを誇ったヒッタイト王国

紀元前1900年頃に流入したインド・ヨーロッパ人の一派であるヒッタイト人は、小アジア(現在のトルコ)に定住し、ヒッタイト王国を建国しました。ヒッタイトは、小アジア定着以前に鉄の技術を持っていたと考えられます。

製鉄技術が未発達な古代において、鉄を生産できるヒッタイトは非常に有利でした。ヒッタイトの鉄製武器は周辺諸国の青銅器製の武器よりも優れていたからです。また、戦車や馬も使いこなしたヒッタイトは軍事的に優位な立場にいたと考えてよいでしょう。

紀元前1595年、ヒッタイト王国はバビロンを攻撃。バビロン第一王朝を滅亡させます。しかし、ヒッタイトはメソポタミア全域の支配は行わず、小アジアの都ハットゥシャシュ(現在のボガズキョイ)に引き上げました。その後も、ヒッタイトはカッシートやミタンニ、エジプト新王国と戦いを続けます。

エジプト文明と東地中の三民族

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メソポタミアとは異なる文明が栄えたのはナイル川流域のエジプト文明です。ピラミッドやスフィンクスが作られた古王国時代から数えると3000年にわたって独自の文明を築き上げました。また、メソポタミアとエジプトを結ぶ中間地点である東地中海沿岸地域には三つの民族が国を建て、貿易などによって繁栄します。

エジプト古王国と中王国

紀元前3000年頃、エジプトに初めて統一王朝が生まれました。ファラオを神の化身とし、ファラオのもとに権力を集める中央集権国家の誕生です。紀元前2650年頃、メンフィスを都とするエジプト古王国が成立しました。

古王国のシンボルともいえるのがピラミッドスフィンクス。特にピラミッドは古王国時代に盛んに建造されます。もっとも有名なのはギザにある三大ピラミッドクフ王カフラー王メンカフラー王の王墓兼葬祭施設と考えられていますが、現在も研究が進められていますよ。

古王国衰退後、紀元前2040年頃から中王国時代となります。テーベを都とする中王国は周辺諸国との交易によって繁栄しました。しかし、紀元前1650年ころにエジプトに攻め込んできたヒクソスという異民族によって国土の北半分(ナイル川の河口地域)を奪われてしまいます。

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