ベトナム戦争の背景
20世紀前半、ベトナムを含むインドシナ半島はフランスの植民地支配を受けていました。第二次世界大戦中は日本軍が占領。日本の撤退後は再びフランスが支配権を回復します。これに対し、ホー・チ・ミンはベトナム民主共和国の独立を宣言。フランスとの間でインドシナ戦争を戦いました。ベトナム戦争に至る前の歴史を振り返ります。
欧米による東南アジアの植民地化
19世紀後半、東南アジア各地は欧米列強によって次々と植民地化されました。イギリスはインドと隣接するビルマ(現ミャンマー)、オランダはインドネシア、スペイン(のち、アメリカ)はフィリピンをそれぞれ支配。ベトナム・ラオス・カンボジアなどのインドシナ半島はフランスが支配する仏領インドシナとなりました。
フランスは総督府をハノイに置きベトナムを統治します。フランスはメコン川下流のデルタ地帯で輸出用の米を栽培させました。フランス支配からの脱却を目指すベトナムの知識人たちは19世紀後半に明治維新を達成した日本に注目。日本に留学生をおくる東遊(ドンズー)運動が活発化します。
その後もフランス支配への抵抗は試みられますが、フランスによる植民地支配は強固なもので、かんたんに覆すことはできませんでした。
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ホー・チ・ミンの独立闘争
1920年代、ベトナムに傑出した指導者が現れます。ホー・チ・ミンです。ホー・チ・ミンは1911年にフランスに渡航。その後、船員となってフランス植民地やアメリカ・ラテンアメリカ・ヨーロッパ諸国をまわりました。そして、1919年にホー=チ=ミンはフランス社会党に入党。政治活動を本格化させます。
第二次世界大戦でフランスがドイツに敗れたことで仏領インドシナは不安定化しました。この情勢を活用すべくホー・チ・ミンはベトナムに帰国。フランス領インドシナに進出してきた日本軍と対抗しつつ時を待ちます。
1945年8月、日本が降伏しフランス領インドシナが無政府状態になるとホー・チ・ミンはベトナム民主共和国の独立を宣言しハノイなど主要都市を占拠しました。しかし、旧支配国のフランスは独立を認めません。フランスは支配の継続を狙いました。こうして、ベトナムとフランスはインドシナ戦争へと突入したのです。
インドシナ戦争
ホー・チ・ミンの独立宣言を認めないフランスは支配権回復のため軍を派遣。1946年からインドシナ戦争がはじまりました。当初、首都ハノイを制圧したフランスの圧倒的優勢が伝えられましたが、ベトナム軍はゲリラ戦法でフランス軍に長期化と消耗を強います。また、ソ連の支援も受けフランス軍に抵抗しました。
戦争は膠着状態となり、フランス軍の中に厭戦気分が蔓延します。事態の打開を図るため、1949年、フランスはバオダイを擁立しベトナム国を樹立。冷戦中で社会主義国の支配地域拡大を恐れたアメリカもフランスとベトナム国を支持します。
1954年5月、戦局打開を狙うフランス軍はディエンビエンフーを1万3千の軍で占領し周辺の制圧を目指しました。このフランス軍をベトナム軍が包囲攻撃。激戦の末、降伏させました。
近代的な武装のフランス軍が植民地軍であるベトナム軍に敗北したことはフランスに衝撃を与えます。そして、同年、ジュネーヴ休戦協定が結ばれフランスはベトナムを含むインドシナ半島の支配をあきらめました。
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ベトナム戦争の経緯
撤退したフランスに代わって乗り込んできたのがアメリカでした。アメリカはジュネーヴ休戦協定に参加せず、南ベトナムに進出してベトナム共和国(南ベトナム)を建国。ホー・チ・ミン率いるベトナム民主共和国(北ベトナム)と対決します。当初は北ベトナム・南ベトナム解放戦線と南ベトナムの戦いでしたが、アメリカ軍の直接介入により戦火は拡大。アメリカと北ベトナム・南ベトナム解放戦線との戦争に変化しました。
南北ベトナムの成立
1954年、スイスのジュネーヴでインドシナ戦争の休戦を協議するジュネーヴ会議が開催されました。フランス・ベトナム国とベトナム民主共和国(北ベトナム)の代表にアメリカ・イギリス・ソ連・中国の代表が参加します。
会談の最中にディエンビエンフーの敗戦が伝わると、フランスは停戦に傾きました。このジュネーヴ休戦協定で北緯17度線を暫定軍事境界線とすることなどが定められます。また、最終宣言では1956年7月にベトナム統一に関する総選挙を実施することでも合意しました。
しかし、アメリカは最終宣言への参加を拒否。ベトナム国(南ベトナム)も休戦協定に反対したため実質的効力に乏しいものでした。その後アメリカは南ベトナムにキリスト教徒のゴー=ディン=ディエムを首班とするベトナム共和国(南ベトナム)を成立させます。南ベトナムでは反米勢力が南ベトナム解放戦線(ベトコン)を結成し親米政権に抵抗しました。
不安定な南ベトナム
南北に分断されたベトナムは冷戦の影響を強く受けました。ホー=チ=ミン率いるベトナム民主共和国は社会主義国の中国やソ連の支援を受けます。一方、ゴー・ディン・ディエムのベトナム共和国はアメリカやアメリカを盟主とする国々の支持を受けました。
フランス撤退後のベトナムにアメリカが介入した理由は、南ベトナムを反共産主義の防波堤にしたいという考えがあったからです。アメリカは南ベトナムが北ベトナムに併合されれば社会主義陣営が東南アジアで一気に拡大するとする「ドミノ理論」を根拠に南ベトナム政府を支援し続けました。
しかし、南ベトナムでは北ベトナムの支援を受け反米・反親米政権を掲げる解放戦線のゲリラ戦術のため政情が不安定化。アメリカは解放戦線を倒すためにはその背後にいる北ベトナムを排除するしかないと考えます。
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