チベット仏教とは
7世紀、チベットを支配していた吐蕃王国に伝わった仏教はチベット在来の宗教であるボン教と融合しチベット仏教となりました。チベット仏教はチベット人だけではなくモンゴル人にも深く信仰されます。そのため、モンゴル人王朝である元はチベット仏教を保護する政策をとりました。現在、チベット仏教は世界に類を見ない独特の仏教として存続しています。
チベット仏教の誕生と拡大
インド発祥の仏教は東南アジアや東アジア各地に広がっていきました。スリランカや東南アジアに広がったのが上座部仏教、東アジアに広がったのが大乗仏教です。大乗仏教はインドから見て北に広がったため北伝仏教ともいわれました。
7世紀、チベット高原の諸部族を統一し中国の唐王朝に対抗したのが吐蕃のソンツェン・ガンポ王です。ソンツェン・ガンポ王は唐から文成公主を迎え仏教を受容しました。
チベットに入ってきた仏教はチベット在来の宗教であるボン教と融合し、チベット独特の特徴を備えたチベット仏教となります。
ソンツェン・ガンポ王の時代から100年以上がたった8世紀後半、チベット仏教は国教と位置づけられました。チベット仏教はチベットだけではなくモンゴルやネパール、ブータンなどに広がります。
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モンゴル帝国によるチベット仏教の保護
13世紀中ごろ、ユーラシア大陸各地を席巻していたモンゴル軍勢がチベットにも攻め込んできました。チベット仏教の一派であるサキャ派の人々はモンゴル人を懐柔。チベットの自治権を獲得します。
1261年、モンゴル帝国の大ハーンに即位し、のちに中国に元王朝を建てたフビライはチベット仏教の高僧であるパスパを大都の宮廷に招きチベット仏教を厚く保護しました。
また、パスパはフビライの依頼でモンゴル語を表記するための文字であるパスパ文字を作り上げます。パスパの教えは他のモンゴル人にも受け入れられ、モンゴル人の間にもチベット仏教が定着しました。
チベット仏教はモンゴル人の王朝である元だけではなく、次の明や清の時代にも厚遇され、チベット全土の政治・宗教に強い影響力を持ちます。しかし、国家権力による保護でチベット仏教に堕落が見られるようになりました。14世紀、ツォンカパは厳格な戒律の実行を説きチベット仏教を改革します。
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現代に伝わるチベット仏教の特徴
チベット仏教はインド仏教のながれを直接受け継いだ仏教です。そのため、同じ仏教といっても日本の仏教とは少し趣が違います。
仏教には多くの仏がいますが、チベット仏教で最重要の存在とされるのは観音菩薩。チベット仏教では、チベットに住む人々は「観音菩薩の所化」とされます。所化とは仏や菩薩によって教化される対象という意味。いわば、チベットの人々は観音菩薩に教え導かれる人々とされました。
チベット仏教独特の仏具といえば「マニ車」。マニ車は大切な経文をおさめた筒で、この車を右回りに回すとマニ車の中に入っている経文を読経したのと同じ功徳があるとされました。
また、チベット関連の写真などによく登場する5色の旗はタルチョーといいます。五色の順番は青・白・赤・緑・黄の順に決まっていて天・風・火・水・地を表しました。旗には仏法が風に乗って広がるようにとの願いが込められています。
チベット仏教におけるダライ・ラマ
チベット仏教には4つの宗派があります。4大宗派のうちゲルク派の指導者がダライ・ラマ。中国によるチベット侵攻以前はチベット全土の行政権も握っていました。チベットの中心都市であるラサにあってダライ・ラマの居住する宮殿となっていたのがポタラ宮殿です。また、チベット仏教でダライ・ラマに次ぐとされたパンチェン・ラマは数奇な運命をたどることになりました。
チベット仏教の4大宗派とダライ・ラマ
チベット仏教の4大宗派は、カギュー派、サキャ派、ニンマ派、ゲルク派のことです。
カギュー派は11世紀にインドに留学したマルパとその弟子であるミラレパにはじまる宗派。チベット仏教の中でも最も密教色が濃い宗派だとされます。
サキャ派はモンゴル帝国、元王朝と結びつくことで宗派の勢力を拡大した一派。ニンマ派は4大宗派の中で最も古い宗派です。
そして、ゲルク派はダライ・ラマを頂点としてチベットの政治・宗教を牽引した宗派。チベット仏教ではこの世の人々を導くため、如来や菩薩などが転生して現世に生まれると考えられました。こうした生まれ変わりの僧侶を化身ラマと呼びます。
化身ラマのうち観音菩薩の化身ラマとされるダライ・ラマが最も尊ばれました。ダライ・ラマが死ぬと化身した新しいダライ・ラマの探索が始まります。転生したダライ・ラマだとされる子供が見つかると、新しいダライ・ラマとしてポタラ宮に迎えられました。
ポタラ宮への礼拝と五体投地
ポタラ宮とはチベットの中心都市であるラサにある宮殿のこと。歴代ダライ・ラマの居城とされます。ポタラ宮はマルポリの丘につくられた壮麗な13階の大型建造物。ポタラ宮の名は観音菩薩の住む地とされる補陀落のサンスクリット語「ポータラカ」に由来します。
もともとは吐蕃王ソンツェン・ガンポが造った宮殿でしたが、ダライ・ラマ5世が拡張し、現在のポタラ宮の土台を築きました。
宮殿は主に政治面で使用される白宮と主に宗教面で使用される紅宮の2つに区分されます。白宮のバルコニーからはラサ市街を一望の下におさめることが出来ました。ポタラ宮内部には貴重な品々や絵画が保存されています。
ダライ・ラマが住むポタラ宮はチベット仏教において聖地とされました。そのため、敬虔なチベット仏教の信者が五体をなげうってポタラ宮の方角を礼拝する五体投地が盛んに行われます。