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タージ・マハルの歴史とは?愛と激動の建設秘話をわかりやすく解説

世界遺産の中でも随一の人気を誇るタージ・マハル。インド北部・アーグラにある、大理石が美しい白亜の霊廟です。この建物は、ムガル帝国の皇帝シャー・ジャハーンが最愛の妃であるムムターズ・マハルのために建てたものでした。彼らの愛の物語と、ムガル帝国の激動の歴史を紐解き、タージ・マハルの歴史を見ていきたいと思います。

1. タージ・マハルとは

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タージ・マハルが建てられたのは17世紀半ばのこと。ムガル帝国第5代皇帝のシャー・ジャハーンは、愛する妃ムムターズ・マハル亡くし、失意の底にありました。彼が妃のために建てた霊廟こそ、タージ・マハル。では、タージ・マハルの概要や、ムガル帝国についてご紹介したいと思います。

1-1. インドを拠点とし拡大したムガル帝国

ムガル帝国は、1526年から1858年までの334年ものの歴史を誇ったイスラーム王朝です。

始祖のバーブルは中央アジア出身で、かつて隆盛を誇ったティムール朝の流れを汲んでいると言われています。全盛期にはパキスタンやインドのほぼ全域を支配し、今回ご紹介するシャー・ジャハーンの時期にはインド・イスラーム文化が花開き、華やかな時代となりました。

しかし、後期になると、イギリスの進出により植民地化が進み、徐々に力を失っていきます。そして、1857年に起きたインド大反乱(シパーヒーの乱)により、翌年に滅亡を迎えることとなりました。

1-2. 美しき白亜の霊廟タージ・マハル

タージ・マハルは1632年に着工し、常に2万人が工事に従事して、1653年に完成したと言われています。シャー・ジャハーンは莫大な国費を投じて亡妃のために霊廟を建てましたが、その絢爛豪華さは単なる霊廟の枠に収まりません。

タージ・マハルは、建物や庭などが完全なシンメトリーとなっており、高さ5.5m、57m四方の土台の上に廟が設置され、中央のドーム部分の高さは58mにもなりますが、内側では24mとなっています。これは二重殻ドームと呼ばれており、外から見る外観デザインと内側から見る空間のバランスを取るための設計でした。

四隅には4本の尖塔(ミナレット)が建てられていますが、これは、王妃に仕える4人の侍女を模したものだとも言われていますね。少しだけ外側に傾いており、それはもし尖塔が倒れたとしても墓廟自体に傷をつけないようにとのことだそうです。

1-3. 細部まで見どころの多いタージ・マハル

タージ・マハルの建物の内外の壁も見逃せません。ここには、幾何学柄や植物の繊細な模様「アラベスク」が綿密に彫り込まれているのです。特筆すべきなのは墓室のもの。世界各国から集められた水晶やサンゴ、ダイヤなど28種類もの宝石類が埋め込まれています。そしてそこにはムムターズ・マハルとシャー・ジャハーンの墓石が並んでおり、2人の愛の深さを感じることができますよ。これらは真の墓石ではなく、本来のものは地下室にあります。

純白の大理石でつくられたこの廟の美しさは、その意匠の細かさからしても、圧巻としか言いようがありません。

1-4. インド・イスラーム文化を象徴する存在

タージ・マハルは庭園も素晴らしく、水路は天上に流れる7つの川を模しており、交わる部分には天上の泉としての池が配置されています。このスタイルはペルシャ様式であり、チャハル・バーグ式と言われているそうです。タージ・マハル自体「王冠宮殿」という意味があるそうですが、まさに天上の宮殿といった佇まいですね。

インド・イスラーム文化の象徴的な建物として、後に世界遺産に登録されることとなるほど立派な建物だったタージ・マハルですが、ムガル帝国の衰退の要因のひとつとなり、王や子供たちの争いを見ていくことになります。

2. タージ・マハル建設の概要

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タージ・マハルは王妃ムムターズ・マハルのために建てられた墓ですが、なぜこの場所につくられたのでしょうか。また、建設の様子はどのようなものだったのか、ここではそれらについてご紹介したいと思います。立地的にもパーフェクトな場所だったようですよ。

2-1. なぜこの場所に作られたのか

なぜ、タージ・マハルはこの場所に建設されたのでしょうか。

タージ・マハルは当時のムガル帝国の都であったアーグラに作られましたが、アーグラの城塞からは1㎞ほど離れた場所でした。ここにはヤムナー川という川があり、それが湾曲する外側に建てることで、地盤の強化も狙えたのです。また、ヤムナー川の水面にタージ・マハルの姿が映り込み、左右対称の視覚効果が得ることができたためだとも言われています。また、もともとこの場所は庭園だったのですが、当時ムガル帝国では、墓は庭園の中につくられるべきだという考えがあったことから、ここがタージ・マハル建設には最適だったというわけなのです。

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