今さら聞けない・でも知りたい「大航海時代」ってどんな時代?
まだ見ぬ未知の世界へ~大航海時代の幕開け
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海を通じての船での交流は、古代ギリシャや古代オリエントなど、はるか数千年前から行われていました。人々は常に水平線の向こうに憧れを抱き、工夫を凝らした船を造っては海へと漕ぎ出していったのでしょう。でも今回は太古の時代の話ではなく、時計の針をもう少し先に動かして15世紀から17世紀頃のお話を。ヨーロッパを中心とした大航海時代とは、どのような時代だったのでしょうか。
大航海時代とは何なのか?
そもそも「大航海時代」とは何なのでしょうか。
一般的には、15世紀半ばから17世紀半ば頃、ヨーロッパの国々がアフリカやインド、アジア、アメリカなど、長距離航海を経て新しい島や大陸を発見し新天地を広げていった時代のことを言います。
大航海時代をけん引していったのは、まずポルトガルとスペイン。さらにオランダ、イギリス、フランスなどの国々もこれに参戦します。
これらの国々は、単に別大陸を目指しただけではありませんでした。時には半ば強引に上陸・武力で相手を征服。特産品や農産物などをせしめ、その地を自国の領土(植民地)としていきます。各国とも、より有益な植民地を求めて争いあうようになりました。
それには、まず、より効率の良い航路の発見が不可欠です。
また、出先で戦闘になった時のために、たくさん大砲を積んだ大きな船の開発の競争も激化していきます。
大航海時代の成功により、ヨーロッパの各国は、ヨーロッパでは手に入らない珍しい品々を手に入れ、繁栄を遂げていくのです。
大航海時代は何故始まった?
大航海時代が始まった要因には、どのようなことが考えられるでしょうか。
まず、航海技術の向上が挙げられます。速く進むことのできる帆船や、羅針盤の発明、洋上で方向を見定める様々な航海術など。広い海を長い期間移動するためのノウハウの蓄積が、大航海時代の開始を促しました。
しかしもっと根本的な要因があります。それは、インドやアジアに対する知識が深まったことです。
大航海時代が始まる少し前の13世紀頃、はるか東方に、とてつもなく強い国がありました。モンゴル帝国です。蒼き狼チンギス・ハン率いるモンゴルは、中国大陸を超えて西方へ。中東や東ヨーロッパのあたりまでどんどん侵攻して巨大帝国を築きました。
やがてモンゴル帝国は崩壊していきますが、アジアの存在は広くヨーロッパ人に知られるところとなります。
さらに、モンゴル帝国衰退の後にオリエント・中東一帯で力をつけたオスマン帝国の存在も忘れてはなりません。15世紀頃、オスマン帝国は東ローマ帝国を滅ぼし、地中海沿岸を中心に勢力を拡大し続けます。
オスマン帝国の干渉を受けずに交易をするには、新しい交易ルートを開拓しなければなりません。ヨーロッパの国々が、陸路に頼らず、外洋ルートを見出そうとした背景には、少なからずオスマン帝国の影響がありそうです。
さらに、16世紀になると、キリスト教の布教が盛んにおこなわれるようになります。ローマ教皇の後押しもあり、宣教師たちはより遠い国々へ布教活動に出ようと危険な航海に身を投じていきました。
こうした要因がいくつも重なって、大航海時代と呼ばれる時代が始まったものと考えられています。
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ヨーロッパ以外の地域の様子
大航海時代が始まった要因は前述の通りですが、加熱していった理由としてもうひとつ、「ヨーロッパ人たちの食生活の変化」を挙げておくべきでしょう。
当時のヨーロッパでは、肉食が定着しつつありました。
そのため、肉をおいしく調理するための香辛料の需要が高まっていたのです。
特に人気が高かったのがコショウ。これに加えてナツメグやグローブなど、どれも肉料理に欠かせないスパイスであり、ヨーロッパでは栽培が難しいものばかり。こうした香辛料は高値で取引されるようになります。
一方、アフリカやインド、アジア地域では、様々な香辛料をごく普通に採取することが可能。香辛料のほかにも、ヨーロッパでは自生しない珍しい作物や染料などを持ち帰ればお金になります。
大航海時代が始まる前までは、イスラームの商人たちから、オスマン帝国による高額の関税がかけられた物資を買うよりほかに、香辛料を手に入れる方法がありませんでした。
しかし、大きな船を持ち、自分たちで航路を開拓すれば、自力でインドやアジア方面へ出かけて行って香辛料を手に入れることができます。
香辛料を買いたいヨーロッパ人、がっぽり儲けたいヨーロッパの商人や船乗り、行く手を阻むオスマン帝国。ヨーロッパの人々は必然的に、地中海から外洋へと目を向けるようになります。
目指せお宝発見~大航海時代の歴史
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「コショウでひと儲けしたい!」まるで器から水があふれだすように、ヨーロッパの国々は次々と海へと繰り出していきました。では次に、ポルトガルやスペインなど、それぞれの国がどのような大航海時代を迎えたのか、順番に歴史を紐解いてみましょう。
ポルトガルによるアフリカ~インド航路開拓
大航海時代の先陣を切ったのはポルトガルです。
ポルトガルはバルカン半島の先端にある国。地中海というよりは、大西洋を広く望む場所に位置しています。ヨーロッパのほかの国よりいち早く、外洋航路に着目。大海原に乗り出します。
そんなポルトガルを率いたのが、ポルトガルのエンリケ王子でした。
エンリケ王子は15世紀初頭から半ばにかけて、アフリカ大陸の西岸地域の探索に尽力。「航海王子」と呼ばれることもあるこの人物、20世紀末に紙幣の肖像になったこともあるほど、ポルトガルの人々にとっても偉大な存在となっています。
王子の死後も、その思いは引き継がれ、1488年、冒険家バルトロメウ・ディアスの船団が、アフリカの南端にたどり着き、インド方面へ向かう新しい航路を発見。当時のポルトガル王ジョアン二世によって、アフリカ南端の岬に『喜望峰』という名が付けられます。
ポルトガルはインドから珍しい製品や産物を輸入し、ヨーロッパに広めていきました。
続いて1497年から1498年にかけて、冒険家ヴァスコ・ダ・ガマが喜望峰を介してヨーロッパ人で初めてインド西南端の港に到達。16世紀にはインドとの貿易を本格化させ、東南アジア方面にも進出します。1543年には日本の種子島にポルトガル船が漂着し、日本に鉄砲が伝わったことはご存じの方も多いでしょう。
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