フランスブルボン朝ヨーロッパの歴史

ヨーロッパにその名を轟かせた名門「ブルボン家」とは?元予備校講師がわかりやすく解説

フランス革命後のブルボン家

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フランス革命後、多くの貴族たちは周辺諸国に亡命しました。亡命した貴族のことをエミグレといいます。エミグレの中にはルイ16世の弟もいました。ナポレオン失脚後、ルイ16世の弟はルイ18世として即位。復古王政を始めます。復古王政は1830年の七月革命で崩壊。1830年からはブルボン家の分家出身であるオルレアン公フィリップが七月王政を展開しました。ブルボン家が七月革命でフランスの王座から追われたのち、ブルボン家はスペイン王家などとして生き延びます。

フランス復古王政

フランス革命が勃発すると、革命勢力の襲撃を恐れた貴族たちは海外に脱出します。脱出者の中にはルイ16世の弟もいました。

フランス革命で権力を握り、皇帝に即位したナポレオンが戦争に敗れて退位すると、周辺諸国の支援を受けてルイ16世の弟がルイ18として即位し中断していたブルボン朝を復興しました。1815年にナポレオンがエルバ島を脱出すると再び亡命生活に逆戻りします。ナポレオンが短期間で失脚し大西洋の孤島セントヘレナに流されたため、再びパリに戻ることができました。

ルイ18世やルイ18世の後に即位するシャルル10が行った政治を復古王政といいます。1824年に即位したルイ18世の弟のシャルル10世は時代遅れの絶対王政を展開しようとしました。そのため、フランス国民、特にパリ市民から強い反感を買い、七月革命の原因を作ってしまいます。

オルレアン公フィリップによる七月王政

1830年7月27日、シャルル10世が行ってきた言論弾圧などに反発するパリ市民は印刷所などを拠点として暴動を起こしました。パリ市民たちはフランス革命の指導者の一人だったラファイエットを国民軍司令官として担ぎ出し、パリ市庁舎を占拠します。

パリ市民たちの勢いの前に抵抗は困難であると考えたシャルル10世は退位。王座はブルボン家の分家であるオルレアン公フィリップに移りました(七月革命)。ルイ=フィリップによる王政を七月王政といいます。

ルイ=フィリップは銀行家などの富裕層・ブルジョワジーを中心とする政治を行いましたが、労働者などの強い反発を招きました。

1848年、ブルジョワ中心の政治を変えない政府に対し、労働者などを中心とした勢力が武装蜂起。ルイ=フィリップを退位に追い込みます(二月革命)。こうして、フランス王家としてのブルボン朝は幕を閉じました。

スペイン・ブルボン家

フランス革命よりずっと前、ルイ14世の時代に話はさかのぼります。1700年、スペイン・ハプスブルク家の最後の王となるカルロス2世が病気のため死去しました。ルイ14世は血縁関係をもとに、孫のアンジュー公フィリップをスペイン王にしようとしました。

オーストリア・ハプスブルク家は当然猛反発。スペイン継承戦争が勃発します。長期間の戦いの結果、フランスとスペインが合同しないことを条件にアンジュー公フィリップのスペイン王即位が認められました。

スペイン・ブルボン家は1700年から1931年まで230年にわたってスペイン王として君臨します。1931年、アルフォンソ13は自治体選挙などの結果、退位し亡命を強いられました。

その後、スペインではフランコ将軍による独裁体制が続きます。フランコの死後、ファン・カルロスが国王に即位し、スペイン・ブルボン家による王政が再開。現在に至ります。

長い歴史の中で、家門を守り続けたブルボン家

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ブルボン家は百年戦争、フランス革命、19世紀前半の市民革命、第二次世界大戦直前の不安定機など様々な歴史の荒波にさらされてきました。にもかかわらず、隣国とはいえスペインの王家として王冠を守り続けているのは歴史的に見ても驚くべきことでしょう。フランスでの王位継承権は失ったブルボン家ですが、現代でもヨーロッパ各地にブルボン家の地を受け継ぐ人物が存在しています。ヨーロッパの歴史の重みを感じさせる一族ですね。

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