絶望と断末魔と
1942年の年末、事態はさらに深刻さを増していきました。第6軍救出の可能性がなくなったためかパウルス大将は「やる気」をなくし、もっぱら軍参謀長が主な軍務を担っていました。
またザイトリッツ中将はじめ第6軍指揮下の将官たちも「このままパウルス指揮の元で野垂れ死ぬわけにいかぬ。個別に降伏するべきではないか?」ということを度々話し合っていたそうです。まさに士気の崩壊を裏付けるものでしょう。
本格的な冬を迎えて極寒となった環境の中、将兵たちの体力も急速に衰えていきました。劣悪な環境の中、飢えと寒さで亡くなった将兵の体から一斉にシラミが逃げ出し、まだ生きて横たわっている将兵の元へ移動していくさまは、この世のものとは思えなかったといいますね。
戦友が亡くなっても、凍った地面は固く、埋葬するだけの体力すらありません。死んだ者は戸外へ運び出され、うず高く山のようになったとも。
この悲惨な戦いの様子を伝えるドイツ軍兵士たちの日記も数多く発見されています。その一部を紹介しましょう。
12月10日。昨日から何も食べていない。ブラックコーヒーを飲んだくらいだろうか。私は絶望に苛まれている。神よ、この悲惨な状況はどのくらい続くのだろうか?負傷者だけでなく我々を移動や後送などしてくれやしない。なぜなら我々は囲まれているからだ。
まさにスターリングラードは地獄そのもの。死んだ馬肉を調理せざるを得ないし、味付けの塩など全くない。しかも多くの将兵は赤痢を持っているという始末だ。それにしても、なんてひどい人生なのだろう!私の人生で何が悪いのか?これも神の罰だと耐えるしかないのか。この建物には30人程が集まり、昼の2時に暗くなってくる。夜は長いのだろうか?果たして明日は来るのだろうか?
12月18日。私は死んだ男を見た。リールだった。3日前に彼と話をした。私は別の兵士と一緒に塹壕に座っている。これはオーストリア出身の20歳の男で、赤痢を患っており、耐え難いほど臭いのだ。
私はすでに全てのことに対して完全に無関心になっている。この恐ろしい地獄から抜け出す方法も見つかっていない。負傷者は連れ去られず、包囲された村に横たわっている。神の奇跡を願うだけだ。
引用元 「スターリングラードの戦い:参加者と目撃者の証言」より
翌年1月10日、ソ連軍は「鉄環」作戦を発動。包囲網をますます締め上げる軍事行動に出ます。ドイツ第6軍はまさに絶望と断末魔に喘いでいました。
第6軍の降伏
1月26日、包囲の環を締め上げつつあったソ連軍は、ついに包囲下にあるドイツ軍の集団を南北に分断。ドイツ軍はもはや軍隊として組織だった行動は何一つできなくなりました。
1月30日、ヒトラーはパウルスを元帥に昇進させます。「ドイツではかつて降伏した元帥はいない。」スターリングラードで第6軍が全滅することにより、彼らを「最後まで死守した英雄」として祀り上げるためでした。
1月31日、第6軍が司令部にしていた百貨店の地下から様子を窺うと、何やら外で騒がしい物音がします。パウルス元帥がその様子を見た瞬間、彼は愕然としました。
多くのドイツ兵とソ連兵が仲良く談笑しているではありませんか。まるで戦争が終わったかのように。「わが軍の兵士の士気は崩壊し、ソ連軍もこれほど間近に迫ってきているとは…」この瞬間、パウルスは第6軍の無条件降伏を決断します。実質的にスターリングラードの戦いが終わった瞬間でした。
しかし、戦いがまだ終わったわけではありません。北部にあったトラクター工場では第6軍の指揮下にあった第11軍団がなおも抵抗を続けており、司令官のストリーカー中将は徹底抗戦に臨んでいました。
2月2日、ソ連軍の攻撃を受けますが、すでに多くのドイツ軍兵士たちはよろめくだけで戦う気力などなく、次々にソ連兵の殴打に遭いました。
その日、普段と変わらぬ様子のドイツ第11軍団気象局の記録が残っています。
「スターリングラード上空、微風なれども晴天。視界は非常に良好…」
しかし、その後に続けて。
「本日をもって気象局を閉鎖する。祖国よ…我が祖国よ…」
第6軍の降伏によって96,000人が捕虜となり、遥か東方の収容所へ送られることになりますが、1955年に西ドイツへ帰還できた兵士たちは5,000人に過ぎませんでした。まさに悲劇ですね。
スターリングラード攻防戦の持つ意味
スターリングラードの第6軍が崩壊したことにより、はるかコーカサスの近くにまで進出していたA方面軍も危機を迎えますが、間一髪のところで難を逃れました。しかしながらドイツはこれ以降、戦争のイニシアチブを失い、完全に守勢に回る形となりました。とはいえ戦争はまだまだ終わりません。さらに多くの血を必要としていたのですね。今回は特に、体験者を通した「戦争の悲惨さ」をクローズアップしてみました。教科書的に歴史を学ぶだけでなく、実際の状況を考えながら読み解いていくことも必要ではないでしょうか。