三国時代・三国志中国の歴史

万人敵の異名を持つ万夫不当の猛将「張飛」の生涯を元予備校講師が分かりやすく解説

『三国志(三國志)』ナンバーワンの猛将は誰か。このテーマで三国志ファンが話をすれば、なかなか決着がつかないかもしれません。ですが、トップ10は誰かということであれば、必ず名前が上がるだろうという武将の一人に張飛がいるでしょう。一人で一万人に匹敵する武勇という意味で「万人敵」の異名を持つ張飛は、義兄劉備・関羽とともに『三国志』の世界を縦横無尽に駆け回りました。今回は『三国志』の英雄張飛について、元予備校講師がわかりやすく解説します。

劉備三兄弟の末弟、燕人張飛

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『三国志』には、晋の歴史家陳寿が記した史実としての正史『三国志』と、元末明初の作家羅貫中が編集した『三国志演義』があります。張飛はどちらでも猛将として描かれた有名人。どちらの張飛もとても魅力的な人物です。張飛のプロフィールや張飛の義兄となった劉備と関羽、『三国志演義』の名場面となる桃園の誓いなどについてみてみましょう。

張飛のプロフィール

張飛は、後漢末期に現在の北京周辺にあった幽州涿郡(たくぐん)に生まれました。この地域は戦国時代に燕という国があった場所です。『三国志』や『三国志演義』で張飛が「燕人張飛」と名のったのはかつて燕の国があった幽州出身だという意味なんですね。

姓は、名は、字は益徳。『三国志演技』では翼徳という字で出てくることもあります。後漢末に挙兵した劉備に従い義兄関羽とともに中国全土で武勇をふるいました。大酒のみで、そのせいで失敗することもしばしばありましたが、どこか憎めない人物です。

若いころは武勇一辺倒の性格で、虎髭を蓄え、武術に優れた英傑で戦場を縦横無尽に駆け抜けました。劉備と共に戦い経験を積む中で、張飛は成長します。

張飛は、身分の高い士大夫には敬意を示しましたが、身分の低いものには傲慢に接し恨みを買ってしまいました。その振る舞いのせいで、最後は部下に寝首をかかれてしまいます。

義兄となった劉備と関羽

のちに張飛の義兄となる劉備(字は玄徳)は、後漢末期に張飛と同じ涿郡にうまれました。劉備は漢の皇族の一人である中山靖王劉勝の子孫を称します。若いころは読書を好まず、見栄えのある服装を好んだといいますが、口数は少ない人物でした。

涿郡の近くにある中山で商売を営んでいた豪商張世平蘇双は劉備の人相を見て、ただものではないと感じ、劉備に資金提供をおこないます。黄巾の乱がおきると劉備は、張世平から得た資金などをもとに義勇軍を編成しました。

張飛のもう一人の義兄である関羽(字は雲長)は、河東郡の解県出身の人物。人並外れた武勇や義理人情を重んじ、のちに曹操をはじめ多くの人々から称賛されます。美しく長いひげを蓄えた姿から「美髯公」とよばれました。

『三国志演義』の名場面の一つ、「桃園の誓い(桃園結義)」

『三国志演義』には、正史『三国志』に記載されていないエピソードが書かれています。その代表が「桃園の誓い」でしょう。

黄巾の乱がおき、義勇兵を集めて挙兵しようとしていた劉備は関羽・張飛と出会い、3人で酒宴を催します。酒宴もたけなわになったころ、三人は劉備を長兄、関羽を義兄、張飛を末弟とする義兄弟の契りを結びました。桃の木の下で彼らが義兄弟の契りを交わしたことから、桃園の誓い桃園結義)とよばれます。

『三国志演義』において、三人は「同年、同月、同日に生まれることはできなくても、死ぬときは同年、同月、同日に」と誓いを立てる姿は、『三国志演義』序盤の名場面といってよいでしょう。

正史『三国志』に書かれていないことから、後代のフィクションだと考えられますが、劉備・関羽・張飛は生涯にわたって互いに助け合ったことから生まれたお話だと考えると納得がいきますね。

劉備・関羽と共に各地を転戦する張飛

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劉備が挙兵した時、関羽と張飛は劉備の傍らにあって、常に周囲ににらみを利かせていました。黄巾の乱での功績が認められた劉備は官職を与えられますが、監察官と対立して辞職します。劉備が徐州の支配者になると、張飛は本拠地の徐州の留守を任されました。しかし、ともに下邳を守っていた曹豹と対立。曹豹が呂布に寝返り下邳を奪われます。長坂の他戦いでは追撃してくる曹操軍を少数の部隊で食い止め、劉備を逃がしました。劉備が蜀に攻め込むと張飛もその一翼を担います。

督郵を鞭打ち、劉備三兄弟は下野

黄巾の乱が起きると。劉備は乱を鎮圧するための義勇軍を組織します。その傍らには常に関羽と張飛が従っていました。黄巾の乱での功績が認められた劉備は安熹県の尉という官職に任じられます。

あるとき、督郵(監察官)が劉備のいる安熹県にやってきました。督郵は、劉備の面会希望を拒否します。これに腹を立てた劉備は督郵が宿泊している場所に乗り込み、督郵を縛り上げ、200回にわたって杖で叩きました。そして、督郵の首に官職の印綬をひっかけて、逃亡してしまいます。

『三国志演義』では、張飛が督郵を鞭打ったことになっていますね。『三国志演義』は劉備を聖人君子として描くので、督郵鞭打ちのような残虐なことは粗暴なキャラ設定をされた張飛がやったことにされたのかもしれません。

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