イギリスヨーロッパの歴史

第二次世界大戦のイギリスを支えた「ウィンストン・チャーチル」をわかりやすく解説

第二次世界大戦のチャーチル

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チャーチルが首相に就任した日。大陸ではドイツがベルギー、オランダに侵攻を開始。

イギリスはフランスに援軍を送って対応しますが、ドイツ軍が電撃戦という道の戦術を使ってフランスを蹂躙。

イギリス軍はダンケルクに急いで撤退を行いドイツ軍の攻撃を受けながらイギリス本土に帰還。フランスは5月15日にドイツに降伏。フランスのほとんどをドイツ領とし、ヨーロッパではイギリス以外対抗できる国は無くなってしまいました。

しかし、この状況でもチャーチルはヒトラーからの和平交渉を拒絶。最後の最後まで闘い抜く姿勢を見せていきます。ドイツ軍はイギリス本土に上陸するために大量の飛行機をイギリス本土に向かわせ各地を空爆。

首都のロンドンも被害を受けてしまいましたが、イギリスはそれでも諦めることはなく戦前から準備していたレーダー設備を使い制空権を維持。

そしてヒトラーがソ連に向かって侵攻する姿勢を見せていくとイギリス本土上陸は中止。イギリス本土は守られたのでした。

その後、アメリカの参戦によって形勢は大きく逆転。一進一退を続けていたアフリカ戦線で勝利をおさめ、1945年にドイツは降伏。第二次世界大戦はイギリスの勝利に終わったのです。

戦後のイギリスとチャーチル

第二次世界大戦にて勝利し、戦後の国際連合では常任理事国になることになりましたが、2度にわたる戦争によってかつてあったあのイギリスの姿は見る影もなくなってしまいました。

そんな中、第二次世界大戦が終結する2ヶ月前の1945年6月に行われた選挙では労働党に敗北してしまいチャーチルは首相を辞任。

チャーチルはその後執筆活動を行っていくようになり、自書「第二次世界大戦」でノーベル文学賞を受賞することになります。

しかし、そんな中でもイギリスの衰退は止まらず1948年にインドが独立。アジアやアフリカの植民地も次々と独立していくことになります。

そんな中でヨーロッパの情勢も大きく変化。第二次世界大戦が終結した直後にソ連が東ヨーロッパを中心として社会主義国家を樹立。

そして西ドイツと東ドイツを境にアメリカ・イギリス率いる西側諸国とソ連率いる東側諸国で対立。いわゆる冷戦に突入していくことになりました。

チャーチルはこの冷戦の情勢を鉄のカーテンという言葉で表し、反共産主義を徹底して行うべきだと主張。この時主張したヨーロッパの構想がのちの北大西洋条約機構(NATO)とEUとして実現することになります。

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