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平安時代末期を描いた芥川龍之介「鼻」ってどんな内容?難解用語も解説

日本文学で揺るぎない地位を占める短編小説作家・芥川龍之介の代表作『鼻』。大正時代の日本を代表する文豪の出世作。平安時代のオモシロエピソード集『宇治拾遺物語』を元ネタに、現代の人間をドキリとさせる圧巻の心理劇に昇華させたこの作品ですが、いかんせん難しい用語が多い!そこで今回は作中で出てくるキーワードを解説しましょう。作家・芥川龍之介の経歴も紹介しながら、名作『鼻』を読み解きます。

芥川龍之介ってどんな作家?

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Yokohama045投稿者自身による作品, CC 表示-継承 4.0, リンクによる

まず、日本の誇る短編小説作家・芥川龍之介のプロフィールをたどっていきましょう。押しも押されもせぬ文豪であり、老若男女問わず愛される作家ですが、果たしてどんな人物なのでしょうか。天才少年から文壇の寵児へ。そして、ぼんやりとした不安からの死……。現代日本では知らない人はいない、大正時代の大文豪。そのプロフィールをご紹介しましょう。

天才少年・芥川龍之介

芥川龍之介は1892(明治25)年、東京に生まれます。実はこの「芥川龍之介」は本名。ペンネームではないんですよ。彼の生後7ヶ月で母親精神に異常をきたしたことから、母方の実家の芥川家へ引き取られます。11歳の時に母が亡くなり、正式に芥川家の養子になりました。芥川家は古い武士の家柄、それも御数寄屋坊主(将軍の雑用や茶の湯の担当をする役職)を代々勤めた旧家。この家に江戸時代から続く文人趣味が根付いていたことは、芥川少年の感性を育てました。

その後の彼の姿はまさに天才少年!中学校で「多年成績優等者」として表彰されます。非常に成績が優秀だったことから、第一高等学校に無試験入学。この学校で生涯の盟友・菊池寛や久米正雄、渋沢秀雄などと出会います。卒業後、東京帝国大学文科大学英文学科へ入学。ここは1年に数人しか合格者を出さない超難関でした。

初期の芥川の作品の中には、外国の名著を翻訳し、あるいは彼なりに焼き直して小説に仕立てたものが存在します。当時はまだ西洋社会の作品は現代ほどたくさん翻訳されておらず、森鴎外や二葉亭四迷らが懸命に外国文学を紹介している最中でした。ちなみに彼の作品で、芥川自身がロシア文学の原書を電車で読んでいるというシーンがあります。あふれるインテリジェンスで小説の新しい景色を拓いていったのですね。

『羅生門』がウケない!見込んだのはあの夏目漱石

現在では国語の教科書にも掲載され、黒沢明監督によって映画化もされた『羅生門』(映画のストーリー自体は小説『藪の中』を主に踏襲)。しかし1915年に発表されたこの傑作は、当初反応がイマイチ。それどころか「もう小説はやめれば?」と言われる始末。しかし翌年1916年、『鼻』を上梓したところ歴史が動きます。あの知らない人はいない日本の大文豪・夏目漱石が絶賛したのです。

無名の文学青年だった芥川龍之介は一躍、日本の文壇の寵児として躍り出ました。大正時代を代表する作家として芥川龍之介は日の目を浴びます。『鼻』の5年後の1919年には大阪毎日新聞社へ入社。これは出社の義務はなく、原稿さえ入稿すればいいという割合気楽な立場。かくして芥川龍之介は非常に恵まれたスタートを切ります。

ここで芥川龍之介の作品は多彩です。複数の証言者によって微妙に違う「真実」が語られる独特の語りの手法が使われた『藪の中』。鮮やかな色彩の印象的な『蜜柑』。仏教説話をベースにした『蜘蛛の糸』など。その他「キリシタンもの」と呼ばれる、日本キリシタンを題材にした作品もよく知られています。ちなみに芥川龍之介は生涯を通して長編を書き上げることができませんでした。このことが、芥川龍之介の死後盟友・菊池寛が設立した芥川賞の受賞作が短編ないし中編である、という部分に影響しています。

力を振り絞った末、「ぼんやりとした不安」による自殺

晩年、といっても芥川龍之介が亡くなったのは彼がわずか35歳のとき。彼の作品は『鼻』の頃とはまた別の影を加えるようになりました。クスッと笑えるディストピア小説『河童』、死の予感に満ちた不吉な作品『歯車』などの作品は、作者の強い鬱状態を感じさせます。一方で当時台頭してきていたプロレタリア作家たちから「ブルジョア作家」と糾弾されるようになっていたのでした。

時間と精神的余裕があって1作品ごとに時間と手間をかけることができた初期作品の出来が良くて、人気作家になった後年は力量はあるものの作品が粗い、というのはよくあることです。しかしそれを抜きにしても、晩年の作品は精神的に消耗していたためか、初期のような完成度はありません。また彼は生涯を通して、長編というものをものにすることができませんでした。

一方で晩年の芥川龍之介作品を高く評価する動きも存在します。いずれにせよ、筆者が芥川の晩年作品を読むにつけ目に浮かぶのは、はいつくばるようにして心身を削って書く、孤独な芸術家の姿です。1927年7月24日、雨の降りしきる中、田端の自室で服毒自殺。わずか35歳でした。命日は「河童忌」と呼ばれ、今も芥川ファンがその日は彼をしのびます。芥川龍之介は遺書にこう書き残しました。

今僕が自殺するのは一生に一度の我儘かも知れない。僕もあらゆる青年のやうにいろいろの夢を見たことがあつた。けれども今になつて見ると、畢竟気違ひの子だつたのであらう。僕は現在は僕自身には勿論、あらゆるものに嫌悪を感じてゐる。

  ――芥川龍之介『遺書』より

『鼻』のあらすじと時代背景を紹介!

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さて、いよいよ『鼻』の紹介にかかりましょう!あふれでるインテリジェンス、芥川龍之介が24歳のときの作品です。古い用語がたくさん出てくるため、現代の私たちは混乱してうまく読めないこともあるかもしれません。その単語の1つ1つを解き明かすと、『鼻』の物語の正体が見えてきますよ。『鼻』のあらすじも一緒に紹介しながら、いざ平安末期の世界へ。

【あらすじ】芥川龍之介『鼻』

小説『鼻』は、平安時代末期に成立した説話集『今昔物語』の『池尾禅智内供鼻語』と、『宇治拾遺物語』の『鼻長き僧の事』を題材にしています。主人公は禅智内供(ぜんちないぐ)。50歳をこえた歳ということですから、当時としては老人といっていいお坊さんです。

なんと彼の鼻の長さは5、6寸。現代のセンチメートル単位に直すと15~18cmです!つまり禅智内供の鼻は、あごのあたりまで垂れていることになります。食事の時にはお椀の中へこの長い鼻を突っ込んでしまうため、弟子に板で支えていてもらわなければなりません。この滑稽極まりない、みっともない鼻を禅智内供は気に病んでいました。

そこにある日、弟子が中国からやってきた医者から教わったという「鼻を短くする方法」なるものを伝えます。方法は鼻をゆでて、その鼻を人に踏ませるだけ。禅智内供の鼻はどうなってしまうのか?彼の鼻にまつわる人びとの反応は?そして、短い鼻を手に入れた禅智内供はどうするのか。「他人の不幸」をテーマに見事な心理劇を描いた、芥川龍之介の出世作。

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