小説・童話あらすじ

【文学】「ジキル博士とハイド氏」を解説!一人で二人の顔を持ってしまった二重人格の破滅の物語

多重人格の代名詞「ジキルとハイド」。19世紀イギリスの古典的名作『ジキル博士とハイド氏』は、善と悪の二面性を持つ人間という生き物を「変身」という形で開放させ、そして破滅を描いた小説です。自分の中に、もう1人の別の人間がいる――善良な市民としての自分と、人間のダークサイドの欲望と。名前だけは聞いたことがある二重人格の物語『ジキル博士とハイド氏』、どんなお話なのでしょう。

「ジキル博士とハイド氏」あらすじ

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19世紀イギリスの古典文学『ジキル博士とハイド氏』(『ジーキル博士とハイド氏』とも)は、大英帝国の首都ロンドンを舞台に繰り広げられる、明と暗の物語です。暗く、見る人に不快感と嫌悪感をもよおさせるハイド氏。そして名士として愛される医者・ジキル博士……人間の二面性を描く、当時としては革新的な小説でした。【以下の記事にはネタバレが含まれています。ご注意の上、読み進めてくださいませ!】

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善人・ジキル博士の不可解な「遺言」

物語の前半は、弁護士のガブリエル・ジョン・アタスン(アターソン)の視点で主に進められます。親戚のリチャード・エンフィールドとロンドンの街の散歩を楽しんでいた彼は、繁華街の裏手にある不気味な建物を示しました。そこで気味悪い出来事があったというのです。

その事件とは、通りがかりの男性が少女を思い切り踏みつけて去ろうとしたという、胸くそ悪くなるような出来事でした。女の子の家族が詰め寄ると、暴力をふるった男性ハイドは「金なら払う」と言って、くだんの不気味な建物に入っていきます。彼は100ポンドの小切手を持ってきて無造作に渡しました。そこにあった署名は、アタスンの顧客ヘンリー・ジキル博士、非常に人徳高い高名な医師です。ここから謎がはじまります。

ジキル博士はアタスンに依頼した遺言書にこのような内容を書きました「ヘンリー・ジキルが死亡、もしくは失踪した場合には、全財産はエドワード・ハイドがすべて引き継ぐ」というもの。アタスンは、ジキル博士がハイド氏に何らかの理由でゆすられているのではないかと心配しました。

極悪人ハイド氏の謎、そして……

ついに事件が起こります。ある日ひょんなことからメイドが目撃したのは、老紳士を男がステッキで撲殺している姿でした。殺された被害者はアタスン弁護士の依頼人、ダンヴァーズ・カルー卿。アタスンは、逃亡した犯人はハイドだと見定めます。

殺人を犯したハイド、彼の秘密を抱えるジキル博士。ジキル博士の身辺の心配をするアタスンですが、ジキル博士は「ハイドとの関係性は完全に断ち切った」と言います。以前のような快活な彼に戻り、ほっとしたのも束の間。ジキル博士とアタスンの知人ヘイスティー・ラニョンが急死するのです。それはジキル博士の秘密を知ってのショック死でした。

ジキル博士とハイド氏のおそろしい関係性は、アタスンが考えていたものよりもずっと深刻かつ不可解なものでした。そして残されたジキル博士の告白の手紙に書かれていた真実とは。人間の欲望、建前を維持する苦しさと抑圧が浮き彫りにした〈二重人格〉ものの古典です。

作者ロバート・ルイス・スティーブンソンってどんな人?

作者はロバート・ルイス・スティーヴンソン。他にも『宝島』『新アラビア夜話』などの作品で名高い英国の作家。特に1883年に出版された『宝島』は児童文学として世界中で大人気!イギリスでは知らない人などいない国民的文豪です。

スティーブンソンは1850年に、スコットランド(英国の北部地域)の古都エディンバラに生まれます。祖父と父の代から灯台建設の技師。しかしロバート少年ははねっ返りな性格。エディンバラ大学の土木工学科に入学するものの、法科に移り弁護士となりました。しかし若いころに結核にかかったことで、彼は生涯をこの死と隣り合わせの病の苦痛と付き合いつつ、転地療養を繰り返して行きていくこととなるのです。1877年、スティーブンソンはファニーというアメリカ人の年上子持ちバツイチ女性と結婚。彼女は終生スティーブンソンの創作と生活を支えました。ファニーの連れ子に向けて語った冒険物語が、かの有名な『宝島』です。

晩年の彼は南洋サモア諸島に移住。「ツシタラ(物語の語り部)」として現地民に愛されます。白人の搾取と内紛に揺れるサモア諸島の現地民のため、政治的にも奔走しました。この時期のことは日本の誇る文豪・中島敦が『光と風と夢』という名作に仕立て上げています。

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「ジキル博士とハイド氏」の背景

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一世を風靡した名作『ジキル博士とハイド氏』。この物語を解釈するために、作品の執筆・出版された背景「ヴィクトリア朝時代」、そして世界最大の魔窟・ロンドンについて知っておきましょう。また、ジキルとハイドの名前は「二重人格」の象徴ですが、実際の「解離性同一性障害」は非常な苦痛がともなう精神疾患です。『ジキル博士とハイド氏』の物語、そのさらに奥へ迫っていきましょう。

19世紀、大英帝国の魔窟・ロンドン

当時のロンドンという都市について解説をすると、さらに作品の雰囲気がわかってきます。『ジキル博士とハイド氏』が執筆されたのは1885年、出版がされたのは1886年。歴史としては、ヴィクトリア朝真っ只中。天津条約が結ばれ清仏戦争があり、ビルマが英領に組み込まれ、日本では『脱亜論』が発刊されたりなどの事件があった時期です。帝国主義全盛ですね。

そんな19世紀末のロンドンは、人口爆発で当時、世界最大の都市。石炭などの粉塵(ふんじん)、スモッグが終始ただよい、それに排水で汚染されたテムズ川からあふれる暗い霧で「霧の街」とも呼ばれました。そんなスラム化が進んだロンドンの治安は最悪レベル。

その上ヨーロッパは大転換期を迎えていました。19世紀イギリスの科学者といえば、あの人。チャールズ・ダーウィンの論じた「進化論」が、神による調和と統治を信じていた人々の意識を揺るがし、欧米の人々のあいだにぼんやりとした不安感が生まれていたのです。これはスティーブンソンの代表作の1つ『新アラビア夜話』メアリー・シェリー『フランケンシュタイン』などにも投影されています。なにがあってもおかしくないかもしれない、魔窟のような都市。ロンドンという舞台がこの作品へさらに奇妙な不気味さを与えています。

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