平安時代末期を描いた芥川龍之介「鼻」ってどんな内容?難解用語も解説
『鼻』に出てくる用語を解説!「内供」「池の尾」「目連」「舎利弗」「劉玄徳」
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まず「内供(ないぐ)」。「ぜんちないぐ」でひとまとめに名前なのかと思いきや、これは役職名です。宮中で天皇に奉仕する僧侶で、夜居(夜のあいだ加持祈祷をして、貴人の護身をする僧)もつとめます。禅智はつまり、かなり社会的地位の高い僧侶。ひょっとすると、元はいい家の坊っちゃんだったのかもしれません。
「池の尾」は現在の京都府宇治市池尾。『源氏物語』の番外編にあたる『宇治十帖』では「郊外の田舎」扱いされている里です。百人一首でも平安時代初期の歌人・喜撰法師「わが庵は都のたつみしかぞすむ世をうぢ山と人はいふなり」と歌っている通り、昔から「憂しの里」とも呼ばれます。ちなみに現在の宇治は京都で2番めの人口を擁する都市。有名な抹茶が名産品となったのは、鎌倉時代以降です。
「目連」はモッガラーナ、「舎利弗」はサーリプッタのこと。ともに釈迦の十大弟子ですが、十大弟子の中でも非常に大きな地位を占めていたので、この2人を「二大弟子」とくくって呼ぶこともあります。ちなみにモッガラーナは母親を餓鬼道から救い「盂蘭盆」の起源を作った人物。「劉玄徳」は三国志で有名なあの劉備のことで、張飛、関羽、そして諸葛亮孔明とともに天下の覇権をつかもうとした人物。この皇帝の耳が長かったというのは有名な逸話です。
『鼻』の用語その2!「震旦」「法慳貪」「水気」「香花」
そんな滑稽な鼻のために苦しむ禅智内供。弟子の僧がある日、「震旦」(古代中国のこと)から渡ってきた医者から、「鼻の短くなる方法」について教わってきます。その弟子によって念入り極まりない毛穴ケアを受けた禅智内供は、夢の「ふつうの鼻」を手に入れました。さて禅智内供は一体?
せっかく願いがかなったというのに、禅智内供は「法慳貪(ほうけんどん)の罪を受けられるぞ」と陰口を叩かれるほど機嫌が悪くなります。「法慳貪」とは仏法における罪の1つ。物惜しみをし、貪欲であることは仏様から罪とみなされます。要するに、不機嫌でイライラしてる禅智内供は仏様に怒られるぞ、という意味ですね。
そしてクライマックス。禅智内供の鼻をふたたびおそった、むずかゆさ。「水気(すいき)が来たように」とありますが、これは浮腫、つまりむくみのことです。そして「香花(こうげ)」とは仏前にそなえる樒(しきみ)のこと。自分の鼻を仏様へのお供え物と同じようにそっと扱う、禅智内供の姿。なんだかグッときますね。
知れば知るほど深い!芥川龍之介『鼻』を読み返してみては?
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古典を読むにはどうしても、ある程度の知識が必要です。難しい単語や用語が出てくるからと尻込みしないでください、小説の中に書かれている彼らは生身の感情を持った、私たちに近い存在として、今もイキイキと息づいています。既読であっても、わからないところは飛ばしてなんとなく読んでいたという方も多いのでは?ぜひこの解説を読み終えたら、また『鼻』のページを開いて禅智内供に会いに行ってみてください。芥川龍之介の描いた世界が、さらにはっきりと見えてきますよ。