ヨーロッパの歴史

テンプル騎士団って何?十字軍の歴史と一緒に元予備校講師がわかりやすく解説

11世紀末、ヨーロッパのキリスト教徒によってはじめられた十字軍運動。その中で、聖地巡礼を行うキリスト教徒を守るためにテンプル騎士団がつくられます。十字軍敗退後も、フランスを中心に力を持ったテンプル騎士団は、王権を強めようとするフィリップ4世の手によって滅ぼされました。今回は、十字軍運動によって生まれ、最後はフランス王やローマ教皇の手によって滅ぼされたテンプル騎士団について、元予備校講師がわかりやすく解説します。

十字軍と宗教騎士団

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今からおよそ1100年前、徐々に経済的に復興を遂げたヨーロッパは、外に向かって拡大しようとしていました。11世紀末、ローマ教皇ウルバヌス2世はキリスト教諸国の君主・諸侯・騎士らに十字軍への参加を呼びかけます。パレスチナに赴いた第一回十字軍は聖地エルサレムの奪還に成功。エルサレム王国を建国します。同時に、ヨーロッパからエルサレムに向かう巡礼を守ることを目的とした宗教騎士団も結成されました。テンプル騎士団もその一つです。

クレルモン公会議

東から勢力を拡大したイスラム教徒は、東ローマ帝国の領土を次々と奪い、勢力を拡大していました。11世紀後半には、ビザンツ(東ローマ)帝国の首都コンスタンティノープルに近い、小アジア(アナトリア高原)もイスラム系のセルジューク朝に支配されます。

なりふり構っていられなくなったビザンツ皇帝は、それまで対立していたローマ教皇に対し援軍を要請しました。これを受けて、ローマ教皇ウルバヌス2クレルモン公会議を開催します。

会議の席上、ウルバヌス2世は十字軍を起こし、イスラム教徒と戦って聖地を取り戻すことを神も認めてくれると発言。十字軍派遣がきまりました。諸侯や騎士たちは、新領土奪還の野望もあったので、教皇の申し出に応じ、第一回十字軍が編成されました。

第一回十字軍とエルサレム王国

1096年、教皇の呼びかけに応じたフランス・ドイツ・南イタリアなどの諸侯・騎士たちは第一回十字軍を編成し、パレスチナに向かいました。十字軍は小アジアでセルジューク朝の軍と戦い勝利します。

その後、十字軍はシリアの地中海沿岸にある要衝アンティオキアを攻撃。苦戦の末、アンティオキアを占領しました。十字軍はアンティオキアにエデッサ伯国を建てます。

主力軍はさらに南下、一路エルサレムへと向かいました。聖地エルサレムは、エジプトのファーティマ朝が占領していましたが、十字軍はエルサレムを攻撃。ファーティマ朝の軍を倒してエルサレムを占領します。

エルサレムを奪還した十字軍は、下ロートリンゲン公のゴドフロアを王とするエルサレム王国が建国されました。

代表的な3つの宗教騎士団

十字軍時代、3つの宗教騎士団が成立しました。宗教騎士団とは、修道請願した騎士たちで構成された騎士団で、騎士かつ修道士といった側面を持ちました。代表的な宗教騎士団は、テンプル騎士団ヨハネ騎士団ドイツ騎士団です。

テンプル騎士団は1118年にフランス人騎士ユーグ・ド・パイヤンによって創設された宗教騎士団。聖地エルサレムに向かう巡礼路の警備と巡礼者の保護を設立の目的としました。彼らはエルサレム王ボードゥアン2世からソロモン神殿(テンプル)の跡地を騎士団の宿舎として与えられたため、テンプル騎士団と呼ばれるようになります。

ヨハネ騎士団は1070年にエルサレム市内の聖墳墓教会のそばにつくられた聖ヨハネ教会がもととなった宗教騎士団。城砦クラック・ド・シュヴァリエを築いたことで有名ですね。

ドイツ騎士団は3つの宗教騎士団の中で最も遅い1190年に創設されます。十字軍敗退後、ドイツ騎士団はバルト海沿岸に移り、ドイツ騎士団領を建国しました。

十字軍の失敗と騎士団のパレスチナ撤退

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11世紀末から行われた十字軍は、合計7回に及びました。しかし、時代を経るにしたがってイスラム教徒側からの反撃が激しいものとなります。イスラム側の英雄サラディンは、聖地エルサレムを攻略し、十字軍国家に強い圧力をかけました。本来、十字軍国家を支えるべきキリスト教勢力の中にも、第四回十字軍のように、本来の目的を逸脱した十字軍があらわれます。最終的に十字軍国家は滅亡し、騎士団はパレスチナを追われました。

テンプル騎士団の発展

テンプル騎士団は、最初はたった二人の騎士と賛同者7人で始められた小さな騎士団でした。それでも、めげずに巡礼路のパトロールを続けます。その期間は十年に及びました。

テンプル騎士団にとって大きな転機となったのは、シトー派のクレルヴォー修道院の修道僧だった聖ベルナルトゥス(聖ベルナール)が、この小さな騎士団のことをほめたたえたことでした。しかも、聖ベルナルトゥスは、騎士団が教皇の認可を得られるよう取り計らいます。

1147年の第二回十字軍で、テンプル騎士団はフランス王ルイ7を助けて奮戦し勇名を馳せました。これに感謝したルイ7世は、パリ近郊の広大な土地を騎士団に寄付します。また、騎士団に入団するとき、騎士たちは自分の財産の多くを騎士団に寄付しました。こうして、テンプル騎士団はヨーロッパ各地に多くの不動産を持つ裕福な組織へと成長します。

サラディンの登場

十字軍がパレスチナに侵入したころ、イスラム教徒の足並みはそろっていませんでした。十字軍の開始から100年ほど経った頃、イスラム教徒側にイスラム勢力をまとめて十字軍に対抗できる力を持った男が現れました。その名はサラーフ・アッディーン、通称サラディンと呼ばれた人物です。

サラディンは十字軍国家の盟主的存在で、聖地エルサレムを支配するエルサレム王国に狙いを定めます。1187年、サラディンはヒッティーンの戦いでエルサレム王国軍に勝利。エルサレム王国から聖地エルサレムを奪いました

聖地がイスラム教徒の手に渡ったことを知ったローマ教皇は直ちに十字軍編成を呼びかけます。1189年、神聖ローマ皇帝フリードリヒ1イギリス王リチャード1フランス王フィリップ2らに率いられた第三回十字軍がパレスチナに向かいました。

第三回十字軍は苦戦しつつもなんとか港町アッコンを奪回します。しかし、サラディンを倒してエルサレムを奪還することはできませんでした。

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