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【解説】芥川龍之介の名作『羅生門』主人公の心情理解が解釈のポイント!

数多くの作品を生み出した芥川龍之介。『羅生門』もそのなかの一つですね。『羅生門』は高校教科書における定番の教材であるので、読んだことがあるという方もきっと多いことと思います。授業でやったことがあるという方は、そのときのことを思い出しながらぜひこの記事を読んでみてください。読んだことがない方は『羅生門』の魅力をぜひ知っていってくださいね。

『羅生門』の基本情報・あらすじ

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『羅生門』は、芥川龍之介(1892年〜1927年)が1915年に発表した短編小説です。最初は『帝国文学』という雑誌に掲載されました。文学作品よりも論文が多く載っている雑誌だったようです。くわしい解説に入る前に、まずは作者である芥川龍之介について、またあらすじについて紹介していきます。

作者・芥川龍之介について

芥川龍之介は、文学にあまり興味がないとしても知っている人が多い文豪の一人ではないでしょうか。菊池寛がはじめた「芥川賞」という賞はとても有名で、名前を聞く機会が多いですよね。芥川は1892年の3月1日に東京で生まれました。東京帝国大学文科大学英文学科へと入学した芥川は、在学中から文学活動を開始します。第一高等学校からの同期である菊池寛たちと刊行したのが、『新思潮』(第3次)という同人誌。この雑誌において、芥川は『老年』という処女小説を発表しました。

再開された第4次の『新思潮』には、代表作『鼻』を掲載。これが夏目漱石の目に留まり絶賛を受けます。『羅生門』は『鼻』発表(1916年)以前に発表された小説ですので、まだ有名になっていないかなり初期の作品です。作品のジャンルは古典をもとにした小説、歴史もの、現代を舞台にしたものなどさまざま。近代文学を代表する小説家の一人です。

ある日の暮方の事である。一人の下人が、羅生門の下で雨やみを待っていた。

ー『羅生門』冒頭

『羅生門』のあらすじ

時代は平安。天変地異によって京の都は荒廃しています。夕方、下人が羅生門で雨宿りをしていました。ほかに人気はありません。下人は長年仕えていた主人から暇をだされてしまい、途方に暮れていたのです。この先生きていくには、手段を選んでいるわけにはいきません。しかし彼に「盗人」となる勇気は出てきませんでした。

ともかく、今日眠る場所を探そうとする下人。そこで羅生門の楼へのぼり、老婆が若い女の死体から髪の毛を抜いているところを眼にします。これを見た下人は、老婆の「悪」の行いに対して強い憎悪をいだきました。彼は刀に手をかけて老婆に襲いかかり、何をしていたのか詰問します。老婆は「抜いた髪でカツラを作ろうとしていた」と語り、さらにその行いについて「生きるため」にしかたなくしていることである、とも言いました。下人の心には勇気が湧いてきます。老婆の服をはぎとった下人は、「こうしなければ飢死をしてしまうから、お前もおれを恨むまいな」と言い残し夜の闇に消えていきました。下人の行方は誰も知りません。

『羅生門』をより深く理解する!

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『羅生門』は短編小説なので、さくっと読めてしまいますよね。しかし、その短い文章のなかにも解釈のポイントはたくさんあるのです。ここでは『羅生門』を読む上で知っておきたい知識や、主人公である下人の心の動きについて解説していきたいと思います。

元ネタは『今昔物語集』収録の二つの物語

芥川は、昔に書かれた物語を元にして新たな物語を生み出す才能に長けていました。『羅生門』もまた、彼の得意な翻案作品の一つです。『羅生門』の元になったのは、平安時代に編まれた『今昔物語集』「羅城門」というお話。タイトルは「羅城門登上層見死人盗人語第十八」です。タイトルからもわかる通り、下人に当たる主人公は最初から「盗人」として登場しています。芥川が後に書いた『羅生門』のような心理描写はなく、淡々と盗人が老婆の行いを見、そして彼女の衣服を奪って逃げる様子が描写されるのみ。また、『羅生門』では夕方の時間設定でしたが、元ネタのお話ではまだ日が高い時間であるなど、細部に違いが見られるのです。

「羅城門」のお話のほかにも、「太刀帯陣売魚姫語第三十一」の内容が一部含まれています。タイトルを書き下すと、「太刀帯(たちはき)の陣に魚を売りし姫の語」。ヘビの干物を魚の干物だとして太刀帯(役人)に売っていた女の話です。これは、老婆が髪の毛を抜いていた女が生前生きるために行っていた「悪」の元ネタになっていますね。

羅生門(羅城門)について

180427 Model of Rajōmon gate at Kyoto station.jpg
By 名古屋太郎投稿者自身による作品 PENTAX K-1 + smc PENTAX-A 1:2.8 28mm, CC0, Link

タイトルにもなっている羅生門。これはかつて京都に存在した羅城門(らじょうもん)のことです。本来の一般的な表記は羅城門なのですが、昔から羅生門と表記されることもあるそうで、基本的には同じものを指していると考えて良いでしょう。『今昔物語集』の表記は羅城門の方ですね。平城京や平安京における門であり、『羅生門』に出てくるのは平安京の朱雀大路(すざくおおじ)南端にあった羅城門です。羅城門から北に行くと朱雀門があり、この奥に大内裏(だいだいり)=天皇が住む場所兼政治中枢がありました。建てられた当初は大層立派な門だったそうですが後に荒廃し、『百錬抄』という歴史書によれば980年(天元3年)に倒壊後再建はされなかったようです。現在は羅城門跡地が小さな公園のなかにひっそりとたたずむのみとなっています。画像は京都駅に設置されている、羅城門の模型です。

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