教養文化豆知識・雑学

童謡「こいのぼり」の歌詞に込められた思いと意味とは?

毎年5月5日ともなると日本全国で【鯉のぼり】が泳ぐ姿が見受けられますよね。立派なお宅なら大きくて勇壮な鯉の姿が拝めますし、都会ならマンションのベランダにかわいい鯉のぼりが立ったりもします。そして【こどもの日】によく歌われているのが童謡「こいのぼり」です。日本人であれば知らない人がいないくらい有名な童謡で、たぶん誰でも口ずさめるのではないでしょうか。そんな童謡「こいのぼり」に込められた歌詞の意味をちょっと探ってみましょう。合わせて日本の鯉のぼりに関して、ちょっとした雑学もご紹介できたらと思います。

童謡「こいのぼり」にはどんな意味があるの?

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童謡「こいのぼり」について、どんな歌詞で、どんな意味があって、またどのように作られたのか?ちょっと細かく解説していきたいと思います。

「こいのぼり」の歌詞と意味

ご存知の方も多いと思いますが、以下が「こいのぼり」の歌詞です。

 

やねより たかい こいのぼり
おおきい まごいは おとうさん
ちいさい ひごいは こどもたち
おもしろそうに およいでる

 

この歌詞を読むと、だいたいの意味がわかると思います。5月の青空のもと、風をはらんで勇壮に泳ぐ大きな鯉と小さな鯉の姿が思い浮かびますね。

でも、お父さんは「まごい」、子供たちは「ひごい」とありますが、この「まごい」と「ひごい」っていったい何なのでしょう?

「まごい」は黒い真鯉のことを指し、実は日本にはもともと黒い鯉しかいませんでした。いわゆる野鯉(のごい)のことです。真鯉は実に食欲旺盛で、他の魚の縄張りも脅かしてしまうくらいの強い存在。そんな強い魚が「頼りがいのあるお父さん」というイメージにぴったりだったのでしょう。

そして「ひごい」は緋鯉のこと。実は真鯉からの突然変異で体色が赤や赤黄色になった鯉のことです。観賞用の錦鯉(にしきごい)は、この緋鯉を改良した品種だといわれていますね。愛玩用の鯉なので、大切に育ててあげれば長生きするため、子供に見立てているのでしょう。

「こいのぼり」には実は2番、3番の歌詞もあった?

童謡「こいのぼり」には、よく知られている1番の歌詞の他にも2番、3番の歌詞が存在しているのです。あまり知られていない歌詞は以下の通り。

 

※2番の歌詞

みどりのかぜに さそわれて
ひらひらはためく ふきながし
くるくるまわる かざぐるま
おもしろそうに およいでる

※3番の歌詞

ごがつのかぜに こいのぼり
めだまをぴかぴか ひからせて
おびれを くるくるおどらせて
あかるいそらを およいでる

 

なぜあまり2番、3番の歌詞がほとんど知られていないのでしょうか?実は2番、3番の歌詞は後付けで作詞者も違うためなのです。

作詞者の近藤宮子が「こいのぼり」を発表したのが昭和6年のこと。その当時はまだ1番の歌詞しかありませんでした。ところが戦後、児童教育の重要性が増すに従って「こいのぼり」にも続詩を付け加えようということで、児童文学作家の小林純一が作詞し、昭和44年に「新訂標準おんがく」の中に掲載されたのです。

小林純一は日本童謡協会の理事長も務められた偉い方でしたが、ついに2番、3番の歌詞がメジャーになることはありませんでした。

ちなみに、後付け歌詞は他のバージョンも数多く存在しており、下記のような歌詞も確認されますね。

 

やねよりたかい こいのぼり
おおきなおくちに かぜのんで
ごがつのそらに げんきよく
あおいおそらをおよいでる

 

やねよりたかい こいのぼり
おおきいひごいは おかあさん
ちいさいまごいは こどもたち 
おもしろそうにおよいでる

 

このバージョンでは「お母さん」が登場しています。「ひごい」がお母さんになり、「まごい」が子供たちになっていることに注目ですね。

童謡「こいのぼり」の成り立ちとは?

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近藤宮子が発表した最もメジャーな「こいのぼり」。この童謡の成り立ちから、その後の著作権騒動まで。童謡として似つかわしくない経緯もありました。そして「こいのぼり」よりもずっと前から、鯉のぼりに関する童謡が存在していたことがわかります。ちょっと歴史を紐解いてみましょう。

激動の時代の中で失われた作詞者の名前

童謡「こいのぼり」の作詞者である近藤宮子は広島県生まれ。父母や夫の影響から音楽とは縁が深い生活を送っていたようです。ある時、幼稚園唱歌研究部に関わっていた父から唱歌の作詞を頼まれた宮子は、「こいのぼり」をはじめ「チューリップ」など10曲もの唱歌を作り提出しました。あまりの出来の良さに日本教育音楽協会はその全てを採用扱いにしたそうで、彼女の才能の豊かさがうかがえますよね。

ところが当時の世相は治安維持法が制定され、満州事変が起こったりと不穏な状況が増しつつあった時期。宮子の弟が共産党に入党していたことから左翼的活動を扶助していると目を付けられ、彼女が作った童謡や唱歌はすべて無名著作物の扱いを受けてしまったのです。

しかし戦後になって、日本音楽著作権協会が無名著作物に関して名乗りを上げるよう呼びかけていたものの、宮子は「別に自分が名乗り出なくても、これからも歌い継がれていくのであればそれで構わない」と、あえて名乗り出なかったそう。

「やっぱりウソはいけないこと」と裁判を起こす

昭和45年に著作権法が改正され、新聞記者だった宮子の息子が「作詞者が実は母」だということを思い出し、これを記事にしたことで世間の注目を集めます。折しも宮子の作った唱歌の著作料を財源としていた日本教育音楽協会では、昭和56年に著作権が切れて年間400万円もの財源がなくなることを恐れ、元会長である小出浩平が作詞者であると日本著作権協会にウソの申告を行いました。

その事実を知った宮子は、「やっぱりウソはいけないこと」と思い立ち、小出浩平と著作権協会を相手取り、東京地裁へ提訴したのです。【「チューリップ」「コヒノボリ」等著作権確認・使用料請求事件】と呼ばれたこの裁判は、結果的に宮子側の勝訴に終わり、小出浩平と著作権協会に対して390万円の損害賠償請求が認められることになりました。確実な証拠が無いにもかかわらず、裁判官の心証によって判決が確定した稀有な裁判だといえるでしょう。

宮子は平成9年に亡くなりますが、存命中に作詞者として認められたことは幸運だったといえるでしょう。

童謡「こいのぼり」よりも以前にあった「鯉のぼりの童謡」

昭和6年に近藤宮子が「こいのぼり」を発表する以前から、実は鯉のぼりに関する童謡が存在していました。まず最も古いもので、「荒城の月」「箱根八里」を作曲した滝廉太郎が、明治33年前後に東くめとのコンビで作った幼稚園唱歌の中に「鯉幟」という童謡があります。

 

大きな黒い 親鯉に
小さな赤い 鯉の子が
いくつもついて 昇って行く
海の様な 大空に

 

「大きな黒い親鯉」「小さな赤い鯉の子」という印象的な歌詞は、先ほどの近藤宮子作詞「こいのぼり」の中に出てきた「大きいまごいはお父さん」「小さいひごいは子供たち」という言葉と非常によく似ていますよね。おそらく宮子は、この滝廉太郎版「鯉幟」の印象をなぞらえて作詞したのでしょう。

そして大正時代初期に弘田龍太郎作曲の「鯉のぼり」という唱歌が文部省より発表されました。

 

甍の波と雲の波
重なる波の中空を
橘かおる朝風に
高く泳ぐや鯉のぼり

 

童謡にしてはいささか表現が難しく、子供が簡単に歌うにしてはハードルが高そうな印象がありますよね。ですから近藤宮子の「こいのぼり」が発表されてのちは、いつしか歌われなくなってしまいました。

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明石則実