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【文学】太宰治「斜陽」を解説!華族や宮様、地主…没落特権階級「斜陽族」のリアルって?

終戦直後の日本、滅びゆく貴族階級の姿を描いた、太宰治の代表作『斜陽』。現代21世紀の私たちの周りにで貴族というものにお目にかかることはほとんどありません。しかし戦中まで日本には、「華族」というものが実在しました。21世紀の私たちが読むとただの哀れ深い物語、しかし1947年の発表当時は、切実に世相に迫ったものでした。『斜陽族』のリアルも含めて、作品世界を探っていきましょう。

姉さん、僕は貴族です――太宰治『斜陽』のあらすじと元ネタ紹介

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まず『斜陽』のあらすじをご紹介。終戦のわずか2年後、1947年に発表された中編小説です。この同年、GHQにより貴族制度は廃止されます。発売後はあっという間に4版重刷されるという大ベストセラー!しかし何がそこまで当時の日本人の心を打ったのでしょう?そして、現代に至るまで愛される理由は?元ネタの紹介もしますよ!太宰治の名作『斜陽』の世界へ、いざ。

【あらすじ】太宰治「斜陽」

物語は華族の末裔・かず子の一人称で描かれます。29歳の彼女はむかし一度結婚したものの、死産を機に体を壊して実家へ戻り、そのまま婚家を離縁されました。以降かず子はお母さまといっしょに暮らします。終戦に伴って貴族制度が解体され、2人は伊豆の田舎の小さな家へ母娘だけで住むことに。やがて南方に出征していた弟の直治も帰還します。

この頃、彼女は直治の「先生」・小説家の上原二郎に3通のラブレターを書くのです。弟の直治も小説家の上原も、お酒に女、薬物と放埒に身を落とす人間。しかしかず子はそんな上原へのラブレターでこう言うのです。「あなたの子供が欲しい」と。そこには、貴族のお姫様であるかず子なりの決意がありました。

そんな中でお母さまが死の床につきます。お母さまは、作中で「最後の貴族」とかず子から呼ばれる、無邪気でかつ気品高い存在。ふたたび堕落した生活を送りはじめていた直治とともに、看病を続けるかず子でしたが……。その後かず子は「戦闘、開始」します。単身、東京の上原のもとを訪れるのです。上原と共にいたその夜、直治はある決断を下します。そしてかず子の「革命」の真意とはーー。

『斜陽』を読み解くための2つの「モデル」

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私小説の達人である太宰治。この作品にも彼自身の生活や人生が色濃く投影されています。かず子が想いを寄せた作家・上原二郎やかず子の弟・直治の放埒や破滅には、太宰治自身が。そしてなんと、ヒロインのかず子にもモデルがいました。

こちらの写真の女性です。ふしぎな印象の美人ですね。名前を、太田静子と言います。彼女はもともと歌人であり作家。太宰治の愛人であり、『斜陽』の資料にと自身の日記を提供した人物です。『斜陽』の作中ほぼそのまんまの流れで、太宰治とのあいだに私生児を妊娠、出産。その一連の事件の様子を、太宰は作品に投影しました。『斜陽』のかず子の「革命」の姿は、太田静子の生命の力を描いたものとも言われます。

もう1つ作品を読み解く鍵があるのです。それはロシアの文豪アントン・チェーホフの傑作戯曲『桜の園』。没落した貴族と、彼らが最愛の桜の園をめぐる人間模様を描いた『桜の園』にインスピレーションを得た太宰は、「日本版『桜の園』」を書くというコンセプトで『斜陽』に着手しました。このロシア文学の傑作、絶対にネタバレできない衝撃のラスト。ぜひあなたも関連作品として『桜の園』を手にとってみてください。

「斜陽族」のリアル――戦前の華族・宮様って?

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「斜陽族」たち、すなわち没落上流階級の姿を描く『斜陽』。では、そもそも日本の華族の姿はどんなものだったのでしょう?大名華族、宮様、という名前はぼんやり覚えた気がするけど……。日本の宮家は現在、秋篠宮様、常陸宮様など4宮家のみ。しかし戦前に実在した華族は総計1011家!意外と身近で、わりと最近までいた方々。そして日本にはそれ以外にも、斜陽族がたくさんいたのです……。『斜陽』を楽しむためにちょっと歴史のお話を。

明治時代以降の貴族・「華族」の姿

『斜陽』のかず子たち一家は、その昔京都に先祖が住んでいたと言いますから、おそらく古い公卿の家柄だったのではないでしょうか。ここでは立憲君主制の大日本帝国においての貴族「華族」の姿を探っていきます。日本の貴族「華族」には、堂上華族(摂家や大臣家など、宮中で殿上が許されたウルトラ名門)大名華族(江戸時代の大名家が華族となったもの)勲功華族(国家から表彰される形で爵位授与されたもの)皇親華族(臣籍降下した皇族)のおよそ4種類がありました。

特権としては、学習院に無試験で入学可能!就職先もハイソサエティ。30歳以上の華族男子が貴族院議員になり国政をになうことは、華族の存在意義の1つでした。また学問に進む華族も多く、財産や社会的地位、与えられた教育を有効活用して学問の発展に貢献した方もたくさんいたのです。一方で「不良華族」ニュースもよく報道にのぼりました。作中でも気になる財政についてですが、華族は法律により世襲財産が認められています。しかし実際は、やりくりがうまくいかずに体面を保てず、身分を返上する華族も多かったのです。

国会議員・貴族院(現在の参議院)は、実は一部の華族(公爵・侯爵)にとっては無報酬のお仕事。経費削減のために国会まで歩いて通勤していた華族もいました。貴族というとリッチなイメージもありますが、世の中の好機の目にさらされて、芸能記者にも追い回され、ストレスフルな日々だったのかもしれませんね。貴族制度創設から廃止まで、実在した華族の数は1011家。こんなにあると、当時の庶民にとってもそれなりに身近なものだったのでしょうね。

華族、地主……日本にあふれていた「斜陽族」

しかし敗戦後、貴族たちの命運は暗転します。1947年、GHQは貴族制度を廃止。貴族院は戦後、参議院として変革されます。その他にもGHQは農地改革を決行。地主が保有していた農地を政府が強制的に安値で買い上げ、小作農に売却するという政策です。これにより小作農の経済はうるおいました。一方で地主は大打撃を受けます。しかし貴族制度の廃止により、明治維新時に掲げられた理念「四民平等」はようやく実現したのです。

太宰治の実家・津島家も大地主で多額納税者の名門でした。しかしこの農地改革で土地を失い、人の出入りが失われます。この、一時は隆盛を極めたわが家の斜陽の姿に衝撃を受けて、太宰治は『斜陽』を書く決心をしました。まさに太宰治の生家が「斜陽族」だったのです。華族のみならず、農地改革で小作や土地を失った大地主は、日本中にたくさんいました。

終戦後の日本に、斜陽族はあふれていたのでしょう。当たり前のようにあったものが失われ、生活を前に途方にくれる人々が。財産や社会的地位を失い没落する、斜陽族。そんな欠落を埋めるには何が必要か?そう考えたとき太宰治は、自分との私生児をあくまでも産み育てぬくと決意した愛人・太田静子の姿に胸を打たれたのでしょう。太田静子(作中のかず子)のような、原始的な生命力と子供への愛情で、既存の道徳に逆らう形となっても生きていく。陰鬱とした小説になりかねないこの作品ですが、語り手がかず子という女性であることによって不思議な明るさを持ったラストに向かっていきます。

失われる生活、身分、お金。最期に手にしたものは……

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没落、病気、麻薬、酒、自殺、死……。『斜陽』であつかわれる題材は決して明るいものではありません。しかし人物や世界の描かれ方は、なんだか爽やか。精神的にも肉体的にも追いつめられ、それでも明るい方向を見つめようとし続けた太宰治は、みずからの生家や自分自身が斜陽の中に沈んでいく中、何を思ったのでしょうか。もどかしさにウズウズしながらも、ふしぎな感動が胸に迫る『斜陽』。ぜひあなたも手にとって見てください。

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