ドイツ降伏
連合軍によっていよいよ国境線にまで迫られたドイツ。1944年の年末に乾坤一擲の大反撃に出ますが、物資と燃料不足によってあえなく頓挫。かえって貴重な戦力を失う結果となりました。兵器の開発技術はあるものの、物資の欠乏によって思うように兵器製造できないドイツはますます生産能力をも低下させていきました。
その後は弾薬も不足し、有効的な反撃すらままならいドイツに対し、連合軍は1945年3月にライン川を一斉に渡河。ドイツ本土に雪崩れ込みました。その結果、ルール地方にいたドイツ軍の大部隊は包囲されたあげく降伏します。
いっぽう東部戦線でもポーランドを解放したソ連軍は石油資源のあるルーマニア、オーストリア、東プロイセンなどへ次々に進攻し、所在のドイツ軍は撃破されていきました。
この段階で戦後の冷戦へ向けての枠組みが出来つつあったといえるでしょう。ソ連軍の占領地域は東欧が中心。アメリカ・イギリスをはじめとする連合軍はフランス、ベルギー・オランダ、イタリアなどの西欧を解放していきます。
やがて4月にソ連軍は首都ベルリンの至近距離に達し、連合軍もまたベルリンから遠くないエルベ川に達しました。この頃、ヒトラーは自嘲気味に側近たちにこう告げていたそうです。
「今に東西両戦線へ電車で行けるようになるさ。」
4月27日、ついにベルリンが包囲され、激しい市街戦ののちにヒトラーが自殺。後継政府が発足しますがドイツの抵抗が弱まっていく中、5月8日に至って武器を捨て、無条件降伏しました。
その結果、ドイツは東西に分割され、冷戦時代という長く苦しい歴史を辿ることになるのです。
そして冷戦時代へ
ドイツが無条件降伏し、ようやく第二次世界大戦が終わったものの、争いの火種はくすぶり続けます。自由主義国家陣営と共産主義国家陣営との新たな争いでした。そして冷戦時代へと突入していくのです。
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アメリカ・イギリスと西部戦線で解放された国々との関係
ドイツの総統ヒトラーは自殺する直前まで、ある希望的観測を抱いていました。
「アメリカ・イギリスとソ連は政治体制どころか経済事情もまったく異質の国家同士。今は手を結んでいるが、いずれ争いになるはず。その時にドイツは米英と反共産十字軍を結んでソ連をやっつけるべきだ。」
奇しくもヒトラーの死後、この観測は実現することになりました。ソ連は占領した東欧諸国を自らの衛星国として管制下に置き、西欧諸国に対峙する姿勢を見せ始めたからです。このため1949年にアメリカ・イギリスを中心とした軍事同盟「北大西洋条約機構(NATO)」が設立されました。
集団的自衛権を基本とするこの同盟は、アメリカ、イギリスをはじめとして西ドイツ、イタリア、フランス、デンマーク、オランダ、ベルギー、ノルウェーなどの西欧諸国で結ばれ、まさにヒトラーが望んだ反共産十字軍そのものだったといえるでしょう。
集団的自衛権とは、同盟を結んでいる国が攻撃を受けた際、もういっぽうの国が軍事援助をするというものです。NATOの参加国が10数か国にも及ぶため、大国のソ連といえども簡単には手を出せない強固なものでした。
共産主義陣営も1955年に「ワルシャワ条約機構」という軍事同盟を結成し、NATOに対抗しています。こうしてヨーロッパ大陸は真っ二つに分断されることになったのです。
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独自の枠組み結成へと歩み始めるヨーロッパ
西欧諸国を中心とした政治的枠組みは、EC(欧州諸共同体)としてすでに存在していましたが、西欧諸国が大きな経済成長を遂げて豊かになってくると、新たな枠組みを結成する必要性に迫られていました。
奇しくもソ連が崩壊し、東西ドイツが統一を果たすと1993年にマーストリヒト条約によってEU(欧州連合)が発足しました。
この政治や経済を包括した連合組織体は、大国からの影響を受けない存在としてヨーロッパ統一の象徴となり、加盟国は今や27ヶ国を数えるほどになっています。
しかしながら昨今はイギリスのEU離脱など、諸問題を抱えることも多いため、今後の動きを注視していくべきでしょう。
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現在のヨーロッパを形作った、かつての西部戦線
第二次世界大戦中に、もしアメリカが参戦せず、ノルマンディーにも上陸せず、西部戦線が形成されていなかったなら、現在のヨーロッパの枠組みは大きく変わっていたことでしょう。ソ連が西欧にまで攻め込んできて、もしかしたらドイツだけでなくフランスまでも共産主義国家になっていた可能性すら否定できません。そう考えると、やはりアメリカが与える世界への影響は大きなものだったと実感せざるを得ませんよね。