日本の歴史江戸時代

『南総里見八犬伝』をわかりやすく解説!江戸時代の文豪「滝沢馬琴」が28年情熱を傾けた長編小説

印刷技術の発展から、江戸時代後期より数多くの本が出版されるようになり、瞬く間に娯楽小説が世に広まりました。そんな時代にベストセラーになったのが、今回ご紹介する馬琴著の『南総里見八犬伝』です。「伝奇ロマンの最高峰」と称される『南総里見八犬伝』を読んで、馬琴の不思議な世界に触れてみよう!

1.『南総里見八犬伝』とは

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『南総里見八犬伝(なんそうさとみはっけんでん)』は、28年もの歳月を費やし書かれた“壮大なスケール感が魅力のファンタジー”です。「仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌」と、8つの珠の定めを背負う八犬士が活躍する、スペクタル時代劇の決定版として200年経った今も映画や舞台などで楽しまれています。

1-1中国古典を構想した長編物語

文化11(1814)年に5冊を創刊し天保13(1842)年の完結まで、全9輯98巻106冊に及んでいます。馬琴が『水滸伝』、『三国志』、『西遊記』に、匹敵する大作をと挑んだことから、世界有数の長編小説が日本で誕生したのです。

中国古典を熟読し内容にも詳しかった馬琴は、中国四大奇書のひとつ『水滸伝(すいこでん)』や『三国志演義』を執筆のモチーフにしました。『捜神記(そうじんき)』の文章も取り入れ、コピペにならない工夫もしたようです。日本古典文学において最長最大の大作で、挿絵は柳川重信(やながわしげのぶ)、渓斎英泉(けいさいえいせん)、柳川重宣、2世柳川重信、歌川貞秀(うたがわさだひで)が分担しています。

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ちょっと雑学

『八犬伝』のように、犬と女性との関係から一族繁栄に繋がる物語は、古くから書かれています。『後漢書(ごかんじょ)』に登場する犬「槃瓠(ばんこ)」が始まりのようです。日本では『太平記』の22巻に登場しています。

「9輯」で物語を完結させたのには、馬琴なりの拘りがあり、「9輯」は冊数も多く内容も複雑で読み応えがあります。「陰陽の哲学」からくる、「陽の究極の数9」で完結したかったからのようです。

1-2八犬士VS悪霊集団の連続

江戸時代後期に室町時代末期を描いた物語で、八犬士になった若者たちの活躍を馬琴の目線で小説化にしたものです。江戸時代の現実的な趣向や人間描写、幕府批判も、適度に盛り込まれています。

実在武将「里見家」の興亡を描いた伝奇小説で、全編を通して「勧善懲悪」と「因果応報」がテーマです。次第に集結する八犬士たちは、運命に流され又は立ち向かい、過酷な運命を克服しながら突き進んでゆきます。息もつかせぬ速さで展開するアクションシーンには、心が引き込まれること間違いなし!

ちょっと雑学

安房(あわ・現:千葉県南部)の地を拠点とした、実在の「里見家」を題材にしています。戦国時代に千葉県にある久米里城の城主だったのですが、江戸時代に大名を廃され鳥取県倉吉市に追いやられたようです。名前だけでなく、没落時に八犬士を連想する側近8名が殉死しているなど、創作物語の中に史実も多く描かれています。

2.滝沢馬琴ってどんな人?

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馬琴は、江戸後期に活躍した大人気の読本作家です。7歳の春には大人顔負けの発句を詠んだといいます。「鶯の初値に眠る座頭かな」です。主家の仕打ちに耐えかねた15歳のときには、辞表がわりに部屋の障子に「木枯らしに思ひたちけり神の旅」と書き残し去っています。幼少期から文才に長けていた馬琴とは、どんな人だったのでしょう。

2-1馬琴の幼少期

滝沢馬琴は、明和4年6月9日(1767年7月4日)に、江戸・深川(現:江東区平野)の、千石取りの旗本「松平鍋五郎源信成」の屋敷内で誕生しました。父滝沢運兵衛興義は松平家に仕えています。母は門といい、4人の兄と2人の妹がいたようです。

本名は興邦(おきくに)で、通称は清右衛門。「曲亭馬琴(きょくていばきん)」はペンネームです。この「曲亭」は、「廓でまこと」を意味し、「真面目に遊女に尽くす野蛮な男」といい、馬琴の若いころの実体験を懺悔しているようにも思えます。

性格は幼少期から強情で、わんぱく。俳句を書くなど文才に恵まれており、大成すると噂されていたようです。

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