アメリカの歴史植民地時代

白人入植者によって保留地へと追いやられた「インディアン」を元予備校講師が分かりやすく解説

アメリカ独立と北西インディアン戦争

フレンチ・インディアン戦争終結後、イギリスは財政難に陥りました。そのため、イギリス本国は北米植民地に様々な税をかけ、戦費を返済しようとします。植民地側は「代表なくして課税なし」として抵抗。1775年にアメリカ独立戦争がはじまりました。

8年近くにわたって続いたアメリカ独立戦争は、植民地側の勝利に終わります。その結果、アメリカ合衆国が誕生しました。

1785年から1795年にかけて、アメリカ合衆国は現在のオハイオ州にあたる地域をめぐってインディアンと大規模な戦争に突入します。この戦争を北西インディアン戦争といいました。インディアンはイロコワ連合などを中心に米国軍と戦いますが敗れます。

戦争後に結ばれたグリーンヴィル条約で、オハイオ州の大部分とインディアナ州の一部をアメリカ合衆国に奪われました。

インディアン強制移住法の制定

19世紀にはいると、アメリカ合衆国はルイジアナをフランスから買い取るなど領土を西方に広げる動きを見せました。1812年に起きた米英戦争の時、アメリカ合衆国はインディアンたちを圧迫し、合衆国周辺地域から追い払います。

それでも、19世紀前半には、インディアンたちはミシシッピ川以東の地に数多く暮らしていました。合衆国政府はたびたびインディアンと条約を結び居住権を保証しましたが、守られません。そのため、インディアンと白人入植者たちの関係は更に悪化します。

1830年、第7代大統領のジャクソンは、インディアン強制移住法を制定。ミミシッピ川以西に住むインディアンを強制的にミシシッピ川以東に移住させる法律を作りました。インディアンを西部に追放することで問題解決を図ったわけですね。

強制移住の始まりとチェロキー族の抵抗

強制移住法を制定したジャクソン大統領は、各部族と個別に交渉し移住を認めさせました。セミノール族やクリーク族などもジャクソンの圧力に屈し、移住を承諾します。

インディアンの強制移住は1831年のくれから始まりました。厳しい冬の寒さの中、インディアンの人々は住みなれた故郷を追われ、見知らぬ土地へと追放されたのです。

インディアンの全てが強制移住に従ったわけではありません。チェロキー族は移住に激しく抵抗します。チェロキー族は独自の文字を作り出し、議会を持つなど国家としての体裁を整えた社会生活を営んでいました。チェロキー族の国であるチェロキー=ネーションを成立させていた彼らは、頑として移住に応じませんでした。

チェロキー=ネーションの指導者であるジョン=ロスは、ジャクソン政権と交渉し強制移住を回避しようとしましたが、交渉は成立しません。

「涙の旅路」

1836年、ビューレン大統領は軍隊を派遣しチェロキー=ネーションに立ち退きを迫ります。万事休したチェロキー族は移住に同意しました。

1838年、チェロキー族の大移動が始まります。チェロキー族がもともと住んでいたのはアメリカ南東部にあるジョージア州でした。そこから西へ1300キロ。ミシシッピ川の向こう側にあたるオクラホマ州にチェロキー族は移住させられました。

チェロキー族は13,000人ほどいたとされますが、1000人ずつの集団に分かれてオクラホマ州に向かいます。移動には80日間という制限がつけられていました。そのため、途中でけが人や病人が出ても移動をとめることが出来ません。

また、移動の経費としてチェロキー族一人当たり66ドルが与えられました。しかし、食料を販売する白人が不当な高値をつけたことなどもあり、チェロキー族たちは飢餓に瀕します。彼らのたどった道のりは「涙の旅路」と名づけられ、チェロキー族の悲劇を今に伝えていますね。

白人とインディアンの武力闘争

インディアン強制移住法の制定後、白人とインディアンの戦いは激しさを増しました。フロリダ半島周辺では、3度にわたってアメリカ合衆国とセミノールインディアンが戦います。一連の戦いをセミノール戦争といいました。

北アメリカ大陸の中西部には平原インディアンたちが住んでいました。主な部族はコマンチ族、アラパホー族、シャイアン族、クロー族、スー族です。彼らはスペイン人たちが持ち込んだ馬を乗りこなし、牧畜で生計を立てていました。

19世紀中ごろ、大陸横断鉄道の開通によりアメリカ合衆国は西へと領土を拡大します。アメリカ人たちは西部開拓を「明白な天命(マニフェストディステニー)」として正当化しました。白人たちは平原インディアンの生活を支えていたバッファロー(野牛)を狩り追い詰めます。

ジェロニモやスー族の奮闘と抵抗の終結

19世紀後半、現在のテキサス州やニューメキシコ州にあたる地域にアパッチ族が住んでいました。アパッチ族は好戦的な部族で、周辺部族や侵入する白人入植者に対し、容赦なく攻撃します。

中でも、もっとも有名になったのがアパッチ族の戦士ジェロニモでした。ジェロニモは山間部を拠点とし、アメリカやメキシコの政府に抵抗をつづけました。また、スー族はカスター将軍率いるアメリカ第7騎兵連隊に勝利するなど、アメリカ軍にとって侮れない戦いぶりを示しました。

インディアンによる組織的抵抗は1890年まで続きます。1890年、サウスダコタでスー族300人以上が殺害されるウーンテットニーの虐殺を持って、インディアンの組織的抵抗は終わりました。

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