日本の歴史

民主主義の大原則「政教分離」とは?わかりやすく解説

アラブ諸国の宗教と政治

政教分離と真逆の政体を強いているのがアラブ諸国でした。

サウジアラビアやイランなどの国は基本的にはイスラム教の教えが国の方針として活かされているのです。

サウジアラビアはイスラム教の聖地でもあるメッカやメディナなどが位置しているため政教分離が非常に難しい状態にあります。

さらに、イスラム教の教えが女性に対する人権侵害という見方もあり、サウジアラビアはたびたび人権団体から非難の的になることもしばしば。

イランは1975年に起こったイラン革命以降イスラーム原理主義を説き、これまで近代化を推し進めてきたイランはこれ以降一気にイスラム教をもとにした政治体制が敷かれていくことになりました。

このようにサウジアラビアやイランなどといった国々はその事情もあって政教分離をすることが難しいこともあるのです。

アメリカにおける宗教と政治

政教分離を制定した国は意外や意外アメリカ合衆国でした。というのもアメリカという国は元々イギリスにおいて宗教的に迫害された人々が植民地であったアメリカに逃げ込み、さらに異なった宗教を持った人びとによって成り立っていたからだそうです。

しかし、アメリカでは大統領就任の時に聖書に対して違うシーンがありますが、アメリカでは内政に関わらなければある程度の影響も認めてもいいという見方を持っており、プロテスタント国家としての側面も持っているのでした。

日本における政教分離

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我が国における政教分離は戦後に入ってから行われるようになりました。
どうして日本では政教分離を行うようになったのでしょうか?次はそんな日本における政教分離について見ていきましょう。

日本と神道の関係

今でこそ政教分離が浸透している日本ですが、第二次世界大戦以前は天皇中心の国家だったこともあり、天皇の祖先とされていた天照大神を中心として信仰する神道が実質的な国教として機能していました。(国家神道)

しかし、第二次世界大戦で日本が敗戦するとこの国家神道が日本を軍国主義へと進めていったと判断したGHQによって政教分離がすすめられることとなります。

戦後の日本においては日本国憲法第20条において「信教の自由」とともに明記されており、第3項には国家とそれに附属している期間は宗教による教育や宗教的な活動を禁じているのです。

しかし、どこまでが政教分離でどこまでがセーフなのかというのは非常に曖昧であり、愛媛県靖国神社玉串訴訟や靖国神社参拝問題など政府と宗教の関わりでたびたび問題になっているのが実情ですね。

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