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【文学】魯迅「阿Q正伝」を解説!卑屈で卑怯な主人公に託した真実を探る

20世紀、近代中国文学を変革した文豪・魯迅。『狂人日記』と並び彼の代表作とされるのが『阿Q正伝』です。革命により清王朝がたおれて、新成立した中国、そのただ中で新しい中国語文を作り上げた魯迅。過渡期を迎えて混乱に見舞われる中国の人民の中に彼が見たのは「愚かさ」「蒙昧」「絶望」と呼べるものでした。毒々しいとも言える皮肉と同朋への絶望。愚か者の物語『阿Q正伝』を解説しましょう。

【あらすじ】『阿Q正伝』

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まずは「阿Q正伝」のあらすじをなぞっていきましょう。筆者は魯迅作品を読むともれなくイライラしてしまいます。この作品もそんな、みじめな気分と苛立ちに満ちた、哀れな小説です。国の名前が帝政であった清国から、アジア初の共和制国家・中華民国に移行した「辛亥革命」前後の農村を舞台としています。これは中国のどこかの村でのけものにされて生きた、1人の男の物語です。ちなみに当時は清国であり中華民国という国名でしたが、混乱を避けるためにこの記事では「中国」に統一しますね。

誰も彼の名前を知らない――阿Qという謎の男

この小説は阿Qという男の伝記。で、「阿Q」って名前は何なのでしょう?中国南部で「先生」と並んでよく使われる接頭語の「阿」。それに人々が最後までどう漢字表記するか知らなかった彼の名前「Quei」を合わせて「阿Quei→阿Q」と作者が便宜的に記したものです。日本風にすると「Qちゃんの伝記」という意味。彼は中国のある村で爪弾きに遭っている、農家で作業の手伝いなどをして日々を過ごすしがない男です。

阿Qは土穀祠(井上紅梅訳では「おいなりさま」とルビが振られています)の中に住み、日雇労働をして過ごしていました。いわば半端者のアウトサイダーです。コミュニティに属さない彼は金も恋人も学問もなく、馬鹿にされて過ごしました。殴られたり蔑まれたり、人々の一種の憂さばらしの対象だったのかもしれません。

社会ヒエラルキーの最下部にいた阿Q。しかし阿Qは人一倍プライドが高い男。なんでも無理やり曲解して「自分の勝利だ」と誇ります。滑稽さと苛立ちを同時に覚える姿ですが、そうして彼は自分の自尊心を守っていたのです。ブラックユーモアさえ感じる愚かな民衆の姿。そんな中で運命が訪れます。「革命」です。

「革命」がやってきた。勝利者ははたして……

1911年。孫文らによる辛亥革命は中国全土に波及し、ついに清王朝を妥当します。皇帝家は終焉を迎え、旧時代のものは打ち払われて新秩序が到来したのです。阿Qの住む村にも「革命」はやってきました。人々の多くはその内容すらよくわからないまま。

革命だ!これを機会に今まで気に食わなかった連中を打ち負かしてやろう。阿Qはわけがわからないままに、シュプレヒコールを叫びます。しかし実際に彼の考えた革命の姿というものは、崇高なビジョンとは無縁のものでした。略奪と強奪、自分を見下していたやつらをおとしめて自分が権力を握るんだ!彼をいつも侮蔑してきた人々もまた「謀反」を起こします。しかし阿Qを待ち受けてきたものは……。

中国人の宿業である、卑屈や権力への徹底的服従の姿。読んでいて驚くのは、魯迅の描く中国人の「当事者意識のなさ」です。阿Qの最後の姿を見て、それが理不尽で悲劇的ともとれるというのに「見世物として最低」としてブーイングを飛ばします。自国の人々の愚かさを、1人の男をトリックスター的に動かして描き上げた、魯迅の代表作。

阿Qの生きた時代を解説

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[1] through [w:Xinhai Revolution in Shanghai.jpg] 原名”上海庆祝民国改元”,载《东方杂志》第八卷第十一号, パブリック・ドメイン, リンクによる

さて革命に翻弄された阿Q。広大な中国の大地に革命は野火のように広がりました。20世紀初頭の中国の情勢をここで一度おさらいしておきましょう。1840年のアヘン戦争以降、西洋列強に切り売りされて植民地状態でした。1894年の日清戦争では日本にも敗北。数々の不平等条約をも結ぶこととなります。もはや国政を託すことはできない!と、清王朝打倒の動きが広がっていきました。

魯迅はそんな病巣のような清王朝の斜陽、それも残照となりつつあった中国(当時はまだ清国)に1881年、生まれます。本名は周樹人。生家は士大夫(科挙官僚・地主・文人の3者を兼ね備えた人物)の家でした。しかし彼の幼少期に家は没落。18歳で南京に出、1902年に国費留学生として日本に渡り、最終的に仙台医学専門学校へ進学ました。この青年期に、後に辛亥革命を実現させる孫文の唱えた「三民主義」が広まります。日本の中国人(清国)留学生も革命に共鳴し、周青年もまたその高揚の中にいました。

彼が医者を目指した理由は、父親の看病で苦しんだ自らの幼少期、まじないや迷信で治療しようとするエセ医師たちを見てきた絶望からでした。しかし中国人の抱える真の課題は肉体の健康ではないと、彼は日本で確信します。この後紹介する「幻燈事件」エピソードの直後、帰国。文学活動を開始するのです。魯迅は辛亥革命当時、日本から帰国したばかり。「民衆の改革」を志して西洋的手法を用い、文学を発展させはじめます。

魯迅の作った新しい中国文学の形と目的って?

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魯迅作品を多く日本語訳で読んできた筆者。『三国志』などの歴史大河や漢詩の雄大さに比べて、近代中国文学は実にわびしく、卑屈な影さえ感じます。それこそが「民衆の教化」のため文学を志した魯迅の狙い。魯迅が阿Qを描くこと自体が、中国にとって必要でした。中国文学というものについても少し触れながら、阿Qと魯迅の正体へ迫ります。

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