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【文学】魯迅「阿Q正伝」を解説!卑屈で卑怯な主人公に託した真実を探る

「阿Q」を日本で見つけた魯迅

阿Qと魯迅はどこで出逢ったのか?「周樹人」が「魯迅」に変身したのは、仙台医学専門学校での「幻燈事件」においてです。魯迅が来日していたのはちょうど、日露戦争の真っ只中でした。ある授業時間に映された幻燈(映画のようなもの)にて、日露戦争でスパイ容疑にかけられた中国人が銃殺になる映像を見た魯迅。その銃殺刑に処された男こそ、魯迅がのちに描く「阿Q」の原型です。

彼は何もせずに同朋を見殺しにする同国人たちの姿に、呆然としました。幻燈に映し出される、無関心な中国人たち。青年魯迅は、医学によって民衆を救うことを決意し、日本に渡ったのですが、この無気力で当事者意識のない中国人の姿を見たことによって、彼の運命は一転します。

魯迅は文学に身を投じることを決意するのです。中国人の病巣は肉体の弱さではなく、精神だと確信したのでした。民衆を教化するための、文学ーー彼は文学で祖国を救うことを決意します。この「幻燈事件」後まもなく彼は帰国。西洋的な手法で小説を書きはじめます。この「幻燈事件」のときに魯迅が見た中国人の姿が、『阿Q正伝』でもそっくり投影されていますよ。

中国の「文学」と、魯迅の中国語

中国文学のイメージといえば、唐の時代に生まれた絶世の詩人である李白に杜甫、白居易などなど美しい漢詩の数々。『三国志』『水滸伝』などの胸躍る大長編大河。これらのキラ星のような文学が栄えたのは、10世紀ごろまで。それ以降はパッとした文学が出ていません。

「国破れて山河あり、城春にして草木深し……」という韻律の深い響きではなく、写実的に物事を描くための新しい中国語を探った、魯迅。近代的な中国語を開拓しました。日本でも模索された「言文一致体」、すなわち口語体による文章のあり方を探ったのです。古く格調高い中国語を愛する、伝統重視の文化人から、魯迅扱う言葉は総スカンを食らいます。

ちなみに筆者としては魯迅を世界レベルで見ると、なんかイマイチ。魯迅は日本時代に多くの文芸書や文学に触れて、後年の創作活動の基礎を作っています。が!いかんせんインプットできた西洋文学の量が少なすぎました。中国では聖書をはじめ外国からの翻訳本を読むだけで「西洋の鬼」と蔑まれる始末。魯迅は世界文学の視点で見ると、思想面ではドストエフスキーやゲーテに及ぶものではなく、言語の改革も美しさという点でフローベールらに届く人ではない……なんだかイマイチ……というのが筆者の感想ではありますね。

文化的英雄・魯迅ーー新しい思想と言葉の人

時代が少し違ったら、魯迅の結末も阿Qの二の舞だったでしょう。異なる思想をいだき、体制に反発し批判を行う魯迅の文学は危険なものです。しかし彼は強運でした。時代は新しい中国語と思想を求めていたのです。辛亥革命が成功した後、中華民国政府が1912年に成立。魯迅が創作活動を活発化させたのはちょうどその頃です。

蒋介石らが率いる国民党により、魯迅の小説はしばしば発禁にされてきました。しかし彼の近代的な中国語、西洋世界的な手法での散文小説は、「海の外」に目を開いた中国にとって必要な新しい文化だったのです。晩年の6年間は毛沢東の共産党により、彼は文化的英雄として扱われます。ちなみに1930年代には彼は上海での生活をはじめ、発禁になりながらも高級マンションに住み、ハイヤーに乗って映画館へ行くというリッチな日々だったようですよ。

阿Qや、阿Qを取り巻く集落の人々を活写することで、中国の人たちにとって「あるある」の姿を描いた魯迅。民衆教化のための文学。要するに「説教するために小説を書いた」といっても過言ではないのですが……彼の優れたところは、ありのままを描くことで、社会や人民の問題を自覚させること」を実現させた、リアリズム作家であったということでしょう。そういった意味で、中国の歴史に燦然と輝く文豪です。

中国の革命に必要だった作家・魯迅

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小説が歴史を変えることはままありますが、小説家が国家においてここまで重要視されている例として、魯迅の上に出る人は数えるほどしかいないでしょう。彼は中国の言語・思想・精神をすべて叩き直そうとした意欲家でした。中国人の持つ課題を克服するために『阿Q』は描かれなければいけない男だったのです。しかしなんというか、この作品……あなたはイライラしながら読みますか?それとも。

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