幕末日本の歴史江戸時代

【幕末偉人】秀才・多才ながら面白い「大鳥圭介」をわかりやすく解説

技術家として政治家として教育者として活躍する

明治8年(1875)に陸軍大佐に任命されてタイへ出張。その後は技術の知識をかわれて工部省の官僚となって殖産興行政策を勧めて紡績・セメント・ガラス・造船などのインフラ政策を推し進めていきますよ。ダムの紹介などの本も書いています。

明治10年(1877)、東大工学部の前身である工部大学校が設立されると初代校長。明治18年(1885)12月28日に元老院議官に就任。明治19年(1886)学習院院長と華族女学校校長に就任。

明治22年(1889)6月3日に駐清国特命全権公使となり、明治26年(1893)7月に朝鮮公使を兼任。朝鮮の近代化を建言したために反日派から発砲されるってよく無事でしたね。明治27年(1894年)10月11日、公使解任。帰国したとたんに11月10日枢密顧問官となります。

なんというか八面六臂の大活躍ですね。その功労から明治33年(1900)5月9日に男爵を拝受していますよ。

大鳥圭介の最期

明治35年(1902)9月28日に、台風のために相模湾西岸一帯で発生し、大きな災害となった「小田原大海嘯」という高波で被災したり、息子さんたちが先に亡くなったりと寂しい晩年だったようですね。

明治44年(1911) 神奈川県足柄下郡国府津町の別荘で食道癌が原因で亡くなりました。享年78。

上郡町にある「いきいき交流ふるさと館」には、大鳥圭介の資料が展示されていて、語り部による「圭介塾」が開かれているといいますよ。なんでも「圭介検定」というのもあるそうです。近くには大鳥圭介が明治になって地元に勧めた殖産政策の桑園からはじまった梅林が残っていて毎年賑わっているみたいですね。毎年5月4日には「圭介まつり」というのが行われていて、今でも地元で愛されているのですね。

多彩な才能をいかんなく発揮した凄い人

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最初のイメージでは堅物なエリートというイメージのあった大鳥圭介ですが、知れば知るほど面白い人でした。こんな多彩な才能を持っていて、向学心も旺盛な人って凄いですね。中でも面白いと思ったのが、箱館政府の陸軍奉行と陸軍奉行並の2人が、実は生まれた時からの武士ではなかったということでした。こんな面白い人ってなかなかいませんよね。

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紫蘭