大正日本の歴史

【大正桜に浪漫の嵐】15年しかなかった大正に花開いた様々な事件と文化

日本の時代区分の中で一番短い上にとても地味な時代である大正時代。しかし、この時代には今の日本にもつながるいろいろな文化が形成されていき、そして日本の将来にも関わる大事件も頻発するそんな時代でした。 今回はそんな大正時代について解説していきたいと思います!

大正時代とはどんな時代だったのか?

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大正時代は大正天皇が即位した1911年から崩御する1926年まで続いた日本の時代区分であり、わずか15年しか存在していなかったとても短い時代でした。

しかし、この15年の間に世界や日本の情勢は目まぐるしく変わり、さらには日本人の生活様式も大きく変わることになるそんな時代でもあったのです。

大正時代の主な出来事

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大正時代は15年ながらも第一次世界大戦やシベリア出兵などをへて日本が列強としての地位を確立していったのと同時に、第二次世界大戦を起こす様々な火種が起きたりするなど非常に日本の近代史の中で重要な時代でもありました。

まずはどのようにして日本は列強になっていったのか大正時代の日本のあらすじと世界の情勢について見ていきましょう。

二度の護憲運動と大正デモクラシー

1912年。この年明治天皇が崩御し、日本の近代化の基盤を構築した明治時代が終わり、大正天皇が即位して大正時代がスタートしました。

こうして大正時代に突入することになるのですが、この大正元年に起こり、のちの大正時代を象徴する大正デモクラシーが巻き起こることになります。

その大正デモクラシーの一つのきっかけとなったのが、大正2年に起こった大正政変でした。

この大正政変によって長年長州閥を率いてきた桂太郎が辞職に追い込まれてしまい、これまでのような藩閥による政治ではなく、大日本帝国憲法に基づいた立憲主義を掲げる第一次護憲運動が巻き起こり、日本は政党政治の時代に入っていくことになります。

しかし、この時完全に藩閥主義が解消されることはなく、普通選挙法も導入されることはありませんでした。さらに、政党政治は癒着などの金権主義も広がる結果となってしまい、桂太郎の次に内閣を組織することになる山本権兵衛はシーメンス社との癒着が発覚したシーメンス事件によって退陣に追い込まれてしまいます。

 

第一次世界大戦と列強としての地位の確立

山本権兵衛がシーメンス事件によって退陣したのち、山縣有朋などの元老は民衆に人気があった大隈重信を首相にすべきと推薦して第二次大隈重信内閣が誕生。これまでの課題であった2個師団増設問題もこの時解消することになり、日本の政治は一気に安定することになります。

さらに、大正2年(1914年)にオーストリア皇太子夫妻がセルビアのサラエボにて暗殺される事件が起こると、第一次世界大戦が勃発。

ヨーロッパにて血みどろの総力戦が行われている中、日本はこの当時イギリスと結んでいた日英同盟を根拠にドイツに戦線布告。

この当時ドイツが握っていたアジアの利権である中国の山東省や南洋諸島を占領し、アジアにおける連合国の安定に貢献します。

さらに、ヨーロッパの列強が国内の戦争に力を注いでいるのを見てアジアの利権を獲得しようと中国の袁世凱に対して対華二十一か条の要求を提出。

さらにはアジアの権益を確立するために中国の段祺瑞に対して借款を行なったり、アメリカとの間に石井・ランシング協定を締結。

4年後の戦争終結の時には西園寺公望をリーダーとする日本の全権が南洋諸島の委託統治と山東省の権益の獲得が認められ、さらには国際連盟の常任理事国にも就任することが決定。

こうして50年前はアジアの非文明国だと馬鹿にされてきた日本はアジア唯一の列強として世界に認められることになったのでした。

大戦景気と戦後恐慌

第一次世界大戦の日本への影響は単に列強として認められただけではなく、日本が一気に経済力が上がることになります。

1914年に第一次世界大戦が勃発するとこの当時長州閥の井上馨は天佑といい参戦を推奨。

最初こそはヨーロッパの戦争による混乱によって不景気に追い込まれてしまうのですが、ヨーロッパでの戦争が長期化したことや戦争によって生産力がガタ落ちすると被害がほとんどなかった日本は繊維業などの軽工業を中心に輸出を開始。物資の供給基地としての地位をアメリカとともに確立したことによって日本は繊維業をはじめ造船業や製鉄業といった重工業も飛躍的に発展。大戦景気と呼ばれる日本の一大景気によってアメリカに次ぐ利益を得て日露戦争以降苦境に落ち込んでいた日本の財政は一気に潤い、債務国から債権国へと飛躍を遂げることになります。

また、この頃には造船業を中心とした成金が出現。「どうだ明るくなったろう」を代表とする形でお金をバンバンと使う流れへと変わっていきました。

しかし、1918年に第一次世界大戦が終結すると輸出が落ち込み、大戦景気によって作られた過剰に作られた設備が原因となり戦後恐慌が発生。

さらに金解禁の出遅れや、関東大震災による京浜工業地帯の壊滅などが原因となり、日本は一気にどん底に追い込まれていくようになります。

そして、そのどん底は日本が一気に拡張政策を行う決起へと変わっていくのでした。

関東大震災、そして昭和へ

1923年9月1日。この日関東地方にマグニチュード7.9の大地震が発生。いわゆる関東大震災が起こりこの大地震によって明治・大正の東京のシンボルであった凌雲閣を始め、さまざまな建物が火災や倒壊に巻き込まれて死者・行方不明者数は10万人を超える未曾有の大災害となりました。この関東大震災によって戦後恐慌で弱っていた日本の経済は一気に破綻。ここから昭和の時代まで引きずることになるのですが、この関東大震災が起こった直後シーメンス事件によって退陣していた山本権兵衛が再び内閣総理大臣に就任して第2次山本内閣が成立。

内務大臣となった後藤新平が中心となってただ単に東京を復興させるのではなく、この震災を機に江戸時代以来の東京の街を大幅に改良。江戸から続いてきた街並みは一部を残して破壊され、下水道なども整備。列強国の首都としてふさわしい街並みへと変わっていき、近代都市へと大きな進化を遂げることになりました。

しかし、この頃から税金を納めなくても選挙権を与えるべきだという普通選挙の動きが高まっていき、憲政会、政友会、革新倶楽部の三党は「護憲三派」を結成して第二次護憲運動を開始します。

その結果選挙では護憲三派は圧勝して加藤高明内閣が成立しました。

五・一五事件によって犬養毅首相が暗殺されるまで憲政の常道という政党政治が続き、1925年に普通選挙法は制定。25歳以上の男性なら誰でも選挙権が与えられついに普通選挙が導入されました。

しかし、女性に参政権を与えるべきという問題や、普通選挙法を制定したのと同時に治安維持法も制定して社会主義者を弾圧するなどくらい実情もまだ残ることとなりました。

そして1926年12月24日。元々病弱だった大正天皇がこの日崩御。15年続いてきた大正が幕を閉じ、そして激動の昭和へと移り変わっていくことになるのでした。

 

大正時代の生活や暮らし

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大正時代は今の日本の生活様式の基礎が作られた重要な時期でした。この頃になると西洋からやってきた文化や風習が定着。「モダン」と呼ばれる様式が定着していく時代でした。

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