日本の歴史

芥川賞と直木賞の違いって?日本で一番偉い(?)文学賞の歴史、受賞作から傾向まで解説

毎年1月と6月に世間を騒がせる、芥川賞と直木賞。純文学と大衆文学のそれぞれ最高峰の賞というイメージですが、そもそもどんなものなのでしょう?そして気になるのは芥川賞も直木賞も、本当に良い小説が多いのでしょうか?毎年200作品、古今東西の小説を読破する筆者が、芥川賞と直木賞の違い、そしてその歴史と傾向について紹介いたします。

そもそもなぜ「芥川賞」「直木賞」は生まれたの?

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主催は文藝春秋社。実際に賞金と賞を授与するのは、文藝春秋社内にある公益財団法人・日本文学振興会です。賞金その額100万円!正式名称はそれぞれ「芥川龍之介賞」「直木三十五賞」。そもそもどんな経緯で成立し、どんな人がどうやって選ぶのか?そして、本当にすごい賞なのでしょうか?筆者の私見も交えつつ紹介いたします。

国際的権威ある賞を作りたい!菊池寛の使命感

大正時代でもっとも偉大な作家の1人である芥川龍之介、そして直木三十五の死は、文壇に大きなショックを与えました。中でも1927年の芥川の服毒自殺に際しては、若者たちの後追い自殺が相次いだほど。直木三十五は脚本家でもあり映画監督でもあるエンターテイナー。明治に花開き大正期に成熟した、日本近代文学をさらに盛り上げるべく立ち上がったのは、小説家・菊池寛。『恩讐の彼方に』などで有名な日本の名だたる文豪です。

彼は日本に、ノーベル賞やゴンクール賞のような国際的権威ある賞がないことを憂えていました。菊池寛の代表作『恩讐の彼方に』を映画化もした知己・直木三十五は1934年に亡くなります。その翌年に菊池寛は文藝春秋社や当時の文壇を巻き込んで、2つの賞を作りました。芥川龍之介賞、直木三十五賞です。現在は芥川賞・直木賞と通称される文学賞として有名ですね。

当初は、現在ほど話題性もなく、第三の新人として昭和中期~後期の文壇を盛り上げた遠藤周作の世代のころは地味にとりおこなわれる賞でした。現在のようなスターアイドル誕生に等しい文学ショーではなかったのです。もっと注目して!と頭を抱えていた菊池寛が現在の芥川賞や直木賞を見たら、何と言うでしょうか。すっかり日本の風物詩的な一大イベントですね。

どんな人が、どうやって選ぶの?

運命の選考会。委員は、東京都は築地にある、日本二大料理屋としても名高い超高級料亭「新喜楽」に集います。芥川賞選考委員は1階、直木賞の選考委員は2階へ上がり、熱論が戦わされるのです。「新喜楽」で選考会が開かれる理由は、名だたる政財界や芸能人が愛用する料亭だけあり、従業員の口が非常に固く、情報がもれる心配がないという理由からだそう。料理がおいしいからってだけではないようですね。

2019年下半期の選考委員は、芥川賞が小川洋子、山田詠美、宮本輝ら計9名。直木賞は浅田次郎、北方謙三、宮部みゆきら計9名です。まさに、その時代の日本文壇の権威者的存在が集うのですね。賞の選び方は、完全合議制。つまり、議論を交わしながら落とし所を見つけつつ、芥川賞そして直木賞にふさわしい作品と作家を決めるのです。この時折り合いがつかず「該当作品なし」が数回続いた時期もあります。

文藝春秋社が主催というだけあって、文藝春秋社にゆかりある作家が受賞する傾向にあるというのは有名な話です。特に芥川賞は文藝春秋社の賞でデビューした新人作家が多いのは事実。なのでデビューを目指す小説家志望の間で、文藝春秋社が主催する「文學界新人賞」は大人気。ちなみに新人賞をとってすぐ芥川賞、というわけではなく、デビュー後数年して芥川賞に至る例も多いんですよ。芥川賞・直木賞を受賞すれば、その受賞作品は少なくとも商業的に成功することはほぼ確実です。箔をつける意味でも作家にとっては憧れの賞と言えるでしょう。

実際、エライ賞なの?

「日本一えらい文学賞」というイメージのある芥川賞・直木賞。で、実際に本当にすごい賞なのでしょうか?純文学・大衆文学とわず本を読む筆者の考えでは、実はまったくそうではないと思います。だって、太宰治も村上春樹も、芥川賞はもらっていないのですから。

太宰治が「私生活乱れすぎ」という理由でもらえなかった第1回芥川賞。激怒した太宰が「刺す。」と選考委員の川端康成に言い放った逸話は有名。ノーベル文学賞に推される作家として有名な村上春樹は(今では想像するのも難しいのですが)デビュー後もずっと、日本文壇の超!嫌われ者。『海辺のカフカ』が海外で賞賛されたことからハルキブームに火はつきましたが、一部の批評家は今も村上春樹に対して批判的です。直木賞を受賞しても、すぐ消える作家もいます。事実、直木賞受賞者一覧を見ても知らない作家がたくさんいました。

詳しくはこの後の章にて、芥川賞・直木賞の歴史をたどっていきますが、流行に沿っているか、文壇や選考委員から好かれているか、なども関係していくでしょう。事実、受賞の基準はその時々の選考委員によってかなり変動しています。ノーベル賞でもなんでも、賞というものはいつだってそうですが、選ぶのは人間。

芥川賞の歴史

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さてここからは、芥川賞・直木賞の歴史をそれぞれ作品や作家に触れながらたどっていきましょう。まずは芥川賞の歴史と受賞作・受賞作家をダイジェスト解説。筆者はマイナーもメジャーも問わずに本を読む濫読家。私見を交えながら、時代による芥川賞の傾向やムーブメントを作ったベストセラー作品や名作家をピックアップしていきます。

本当に「無名作家」への賞だった!?そして戦争での中止

レジェンド芥川龍之介の名を冠した芥川龍之介賞。第1回までの選考委員には川端康成、佐藤春夫などが名を連ね、まさに栄誉の賞としてスタートしました。しかし賞設立の昭和10(1935)年は時代の激動期。第2回は二・二六事件のため中止されます。

ところで筆者は王朝文学から現代まで、主に明治~昭和を中心に読む読書家。なのに戦前の芥川賞受賞作家は知らない人ばかり!芥川賞という賞が「無名作家を奨励するための賞」として役割を果たしつつ、当時は本当に、地味でささやかな賞であったことが察せられます。菊池寛は「芥川賞・直木賞は、受賞者が売れてなんぼとして作った」と商業的成功を狙ったものだと豪語していますが、この頃はまだなかなか……。

1944年のときに太平洋戦争に伴い、芥川賞・直木賞は中止期間を迎えます。戦争中に多くの作家が徴兵・空襲などで亡くなっていきました。自由な文芸と文学の復活として芥川賞・直木賞がよみがえったのは終戦後4年が経過した、1949年のことです。

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